猫命のユーホーです。
完全にプライベートで出かけたつもりが、楽しくて、猫好きさんにお勧めしたくて!
来年是非行ってみてくださいな!
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あっちもこっちも猫だらけ
会場内撮影及びSNS配信許可は得ています。

猫の日22日と23日の二日間で行われた猫神祭。
青く晴れた空にビリビリと冷たい風の中、完全防備で開催二日目に遊びに行ってきました。



メイン会場の不動尊クラインガルテンクラブハウス内では、猫雑貨などのマルシェや保護猫譲渡会、
広場ではグルメキッチンカーで賑わっていました。




これ、あとで買おうと思ったら…売り切れ(悲)

日本国内に確認されている猫碑は168基、うち84基が丸森町にあります。
かつて養蚕で栄えた歴史から、蚕をネズミから守るために大切にされてきた猫。
当時各家々では、飼い猫が死ぬと私有地に猫碑を建て祀り、それを猫神さまと呼んでいます。
しかし、養蚕で栄えた町は他にも全国にあるわけで、なのにこれほど猫を神として崇拝したという、それが丸森町の神秘なのです。

会場の正面には猫神社が!
丸森町では”消滅可能自治体”脱却を目指し、猫神社建立プロジェクトが昨年立ち上がり、クラウドファンディング参戦第一弾が終了しています。


敷地内のサブ会場(直売センター)でもマルシェやワークショップなどで賑わっていました。
駐車場はほぼ満杯で、”猫崇拝者”で大盛況でした。


昨年3月立ち上げ『まるもふ猫神プロジェクト』から、家族を探す猫様4匹降臨。
猫神様小道さんぽ
午後から、ガイドさんが案内してくれる「猫神様小道さんぽ」に参加しました。
メイン会場から徒歩5分内の猫碑がある2か所を散策。
これが結構な深い内容で丸森の歴史の勉強にもなりました。

私有地の石碑群
町内には2300基の石碑があるそうですが、その理由としては花崗岩の産地であったことです。
今も町内の山の頂上付近に、花崗岩の白っぽい岩肌が見える場所がありました。

山岳信仰や庚申信仰の碑に混ざって、真ん中に鎮座しておられる二基の猫神様。

一番古いものは江戸時代で、その後明治にかけて建立されたようです。
もうひとつ、こちらの「一代塔」は、同じ生まれの人たちが一生平穏であることを祈願し建てられたとのことですが、詳しいことはわかっていないそう。
全国的に見ても、丸森町にしか存在していないという、これも神秘の石碑です。

神仏習合 駒場瀧不動尊 愛敬院
神仏習合とは「神と仏は一体である」とする宗教思想。
メイン会場前の道路を挟んだ向かいにある愛敬院は、修験山伏の祈祷寺院。
修験にとって山は「母」を意味し、山に入り修行をして「山道」を通り出てくることは、母親の胎内から「産道」を通り新しく生まれ出でるという意味。
この寺院では、修験の特徴である神道(鳥居や狛犬)と仏教(山門や鐘楼)の融合を見ることができます。


鳥居の先に山門がある、希少な宗教施設。
愛敬院は一旦廃寺となったものの、この寺の別当寺としていた不動堂が新たに愛敬院として引継ぎました。
仁王門は、町の指定有形文化財になっており、のちに「義民-よしたみ」といわれた菊地多兵衛が浄財を集め建築寄進したもの。
※ 菊地多兵衛:文化・文政のころ、村の世話役であった多兵衛は百姓の年貢や村償い(臨時の出人夫)の負担が大きい窮状を直接仙台藩の歩目付に訴え、牢に入れられました。自分を犠牲にして、村人の身代わりになった多兵衛は「義民」として語りつがれています。




二畳分ほどの隠れ家にこもって、義民さんは農民を救ったが、とらえられ牢死しました。合掌

ご本尊は不動明王。



鐘楼は自由に突くことができます。
山門横の猫碑。先ほどの猫神さまにお顔がそっくりなのは、彫師が同一だったからではないかとの見解。

巨大な岩に彫られた動物は・・・
愛敬院の奥に進むと川岸にひときわ巨大な岩が見えてきます。

ガイドさんの説明がなければわからない、これも古い石碑のひとつです。

よ~く見ると、なにやら左手に文字が、右手にみっつの彫り物があります。
さて何でしょう?

このみっつは、「見ざる聞かざる言わざる」の三猿です。
岩の後ろ側は川ですが、令和元年に甚大な被害をもたらした台風19号の影響で、山が崩れ水量が減ったとのこと。
昔は、町の子供たちはここから水に飛び込む遊びをしていたそうです。
そんな話も交えたおもしろいガイドで、猫信者と歴史好きにはとても充実したイベントでした。


駒場瀧不動尊 愛敬院:宮城県伊具郡丸森町字不動59