こんにちは!こはくです。
東日本大震災から9年半…。
あの日、わたしも仙台市内で震災を経験しました。
忘れようにも忘れられない日。
今回はずっと気になっていた岩手県陸前高田市『奇跡の一本松』へ逢いに行ってきたのでご紹介します。
名称:奇跡の一本松
住所:岩手県陸前高田市気仙町字砂盛176-6 高田松原津波復興祈念公園内
時間:高田松原津波復興記念公園に準ず
参考:陸前高田市ホームページ
<電車>
JR気仙沼駅→JR大船渡線BRT「奇跡の一本松駅」下車
<車>
東北道 一関ICより約1時間15分
奇跡の一本松は『高田松原津波復興祈念公園』園内にあります。
園内は現在も整備中で立ち入ることが出来る場所は限られています。
案内に従って奇跡の一本松まで向かってくださいね。
現在、他の施設としては『道の駅高田松原』『東日本大震災津波伝承館』があります。
高田松原と奇跡の一本松
■高田松原
白砂青松の高田松原は、市民はもとより県内外の来訪者から四季を通して愛される場所でした。約350年前から先人たちが植林を行い、市民の手で守り育ててきた高田松原。その美しさを多くの詩人が詠み、昭和15年には国の名勝に、昭和39年には陸中海岸国立公園に指定されました。
夏には海水浴客でにぎわい、松に囲まれた遊歩道は市民の憩いの場所でした。
また、多くの動物や希少植物が存在し、多様な生態系が育まれていました。高田松原は、まさに陸前高田市の象徴とも言える存在でした。
(引用:陸前高田市ホームページ)
名古屋で生まれ育ったわたしは東北に関して本当に無知で「高田松原」という名前から静岡県にある三保の松原のようなイメージはありながらも、この歴史を全く知りませんでした。
きっと美しく素敵な場所だったんでしょうね。
『道の駅高田松原』がある駐車場から歩いておよそ10分。近づくにつれ口数も減っていきます…。
一本松の左側に見えている建物は陸前高田ユースホステルです。
震災遺構『陸前高田ユースホステル』
陸前高田ユースホステルは日本ユースホステル協会に加盟していた岩手県のユースホステル。
高田松原公園内に位置し、東北地方太平洋沖地震で建物が一部崩壊するなど大きな被害を受けたが、震災の数カ月前から無期限休館中だったため人的被害はなかった。
高田松原もほぼすべての松が流出したが、ユースホステル敷地内の松が1本だけ奇跡的に残り、復興のシンボルとなった。
建物は震災遺構として保存される方針であり、実質的に閉鎖となる。
(引用元:Wikipedia)
震災の数カ月前から無期限休館中だったんですね。
そして、敷地内の松が『奇跡の一本松』となったとは…。
奇跡の一本松
奇跡の一本松前に献花台が設けられていました。
平成23年3月11日に発生した東日本大震災津波は、東日本各地に未曽有の被害をもたらしました。陸前高田においても多くの方が犠牲となり、市街地は壊滅し、市の象徴であった高田松原も失ってしまいました。
そんな中、唯一耐え残ったのが「奇跡の一本松」でした。
震災直後から、陸前高田市民だけでなく全世界の人々に親しまれてきた「奇跡の一本松」。
その後、海水による傷みによって枯死してしまいましたが、陸前高田市では、この一本松を鎮魂・希望・復興の象徴として保存することといたしました。
この保存事業は、日本全国、そして世界からの数多くのご支援によって実現したものです。
みなさんの思いがこめられた「奇跡の一本松」はこれからもずっと、わたしたちを見守り続けます。
平成25年3月 陸前高田市
(引用:献花台プレート)
奇跡の一本松。
ニュースなどで名前も存在も知ってはいましたが、一度伐採されて保存のために加工されていることは知りませんでした。
やなせたかし画「ヒョロ松君」
このモザイクタイルは、漫画家でアンパンマンの生みの親である、故やなせたかし氏が「奇跡の一本松」をモデルに描いたイラストを基に制作しました。
東日本大震災の大津波に唯一耐えた松の木に深く感銘したやなせ氏から、塩害により枯死した一本松の保存整備のための「奇跡の一本松保存基金」に多大なご支援をいただきました。
また、一本松から接ぎ木をして生まれた4本の苗木は、やなせ氏に命名していただき、現在も大切に育てられています。
なお、このモザイクタイルの制作にあたり、社会福祉法人燦々会あすなろホームの皆さんが携わりました。
(引用元:モザイクタイル前案内板)
にっこり微笑む太陽が一本松を傍で優しく照らしているようですよね。
やなせたかし氏の柔らかなイラストに、切なくてあたたかな気持ちがこみ上げます。
■やなせたかし氏からのメッセージ
私はマスコミという激流渦巻く世界で無我夢中で仕事をしてきましたが、周りのみんなには何をやっても適いませんでした。
それでも自分が選んだ道だからあきらめずに仕事を続け、ある日気が付けばいつの間にか仲間の姿が見えなくなり、私は何とか生き残っていました。
だから陸前高田の一本松は、まるで自分のような気がして運命の共同体のように思っています。
松の木としてはけっして形のいい松とは言えません。
ヒョロヒョロと背が高く真っ直ぐに伸びた松に、私は勝手に「ヒョロ松君」と名前を付け、陸前高田の松の木という歌を作り、踊りの振り付けを寄付しました。
だから松の木が枯れてしまった時には本当にガッカリしました。
でも、松の木の命をつなぐ接ぎ木をした子供たちも育っていますし、松ボックリからも新しい命が生まれて無事に育っています。そして復元された「ヒョロ松君」は昔の姿のまま、私たちに生きる希望と勇気を与えてくれます。
これから先も苦難の道は果てしなく続くと思いますが、なるべく明るく楽しく希望を捨てずに頑張っていきたいものです。
(引用元:モザイクタイル前案内板)
やなせたかし氏のメッセージがとっても心に染みます。
アンパンマンマーチがそっと頭の中を流れているような感覚に。
ずっと一線を走ってこられた中にも、様々なことがあったのですよね。
『生きること』に対して考えることも増えたのは、大人になったからでしょうか。
なるべく明るく楽しく希望を捨てずに…そのように頑張っていきたいですね。
先人の言葉は本当に偉大です。
周りの様子
川向こうに見える建物も被災したままとなっています。
被災したマツの根株があちこちに…。
奇跡の一本松に別れを告げ戻る途中、急に後ろから日が差してきました。
思わず振り返ると一本松の上の空だけがぽっかり穴が開いていて…
まさに「背中を押されている」ような様子で、今の自分のことを照らし合わせると感動的でした。
様々な思いを抱え『道の駅高田松原』や『東日本大震災津波伝承館』の建物がある方へ戻りました。
両施設にも寄りましたのでまたご紹介させてくださいね。
おわりに
テレビなどで見ていたよりも実際はとても背が高い『奇跡の一本松』
目の当たりにすると凛々しさ、そしてどこか寂しさも感じ胸が詰まる思いがしました。
『鎮魂・希望・復興の象徴』
犠牲になられた方のご冥福をお祈りするとともに、奇跡の一本松が被災された方々の希望であり続けることを願わずにいられません。
名称:奇跡の一本松
住所:岩手県陸前高田市気仙町字砂盛176-6 高田松原津波復興祈念公園内
時間:高田松原津波復興記念公園に準ず
参考:陸前高田市ホームページ