(公園内案内看板より)
1年半ぶりに県をまたいだユーホーです。
宮城県と福島県の県境に位置する丸森町と伊達市。
丸森町には、伊達政宗公の初陣の地があり、伊達市にはその戦勝祈願をしたとされる梁川八幡神社があります。
福島県伊達市は、伊達氏発祥の地であり、初代朝宗(ともむね)が平安後期から信夫郡と伊達郡を治めていました。
朝宗の父以前は中村姓で、主君は源頼朝(鎌倉幕府の初代征夷大将軍)でした。
文治5年(1180)に起きた、鎌倉政権と奥州藤原氏の「奥州合戦」で武功を立て、激戦地となった阿津賀志山(あつかしやま)がある陸奥国伊達郡を賜り、伊達姓を称しました。
この時伊達氏は、敵方の大将佐藤基治を生け捕りにして手柄をあげたわけですが、この佐藤基治(春)という人が、現在の仙台六芒星のひとつ「榴岡天満宮」のある一帯(国分荘)の領主でした。
榴ヶ岡一帯の領主は、佐藤氏➡国分氏➡伊達氏と代わっていきます。
梁川八幡神社~伊達家の氏神
平安時代の永観2年(984)創建と伝わり、伊達氏が梁川城を本拠地とした後に「亀岡八幡宮」と合祀され、伊達家の氏神として歴代当主から篤く信仰されました。
(のちに仙台開府にともない、城下の四神の玄武「亀岡八幡宮」が建設遷宮されます)
境内は広大で、鳥居をくぐるとすぐ右側に、この看板が目に入ります。
元服したとはいえ、若干16歳の少年が、40過ぎの大人を諭して感心させるとは。
しかし、”もう隠居したいんですけど…”という外記さんの心情を思えば、気の毒このうえない。
外記さんの人生は、時代的に戦三昧で、心休まることなく幕を閉じたのでしょう。
来世はどうぞ平和な世に転生できますように。
拝殿
本殿
(公園内案内看板より)
梁川城跡の南側に阿武隈川の支流「広瀬川」があるのですが、これが仙台の広瀬川の名前の由来となりました。
福島の信夫山も元は青葉山といい、仙台の青葉山もここから名付けられたといわれています。
梁川八幡の別当(神社を管理する寺)寺院 龍宝寺
境内に隣接する龍宝寺は、伊達家初代朝宗公が、伊達家の祈願寺として開いたお寺です。
趣のある茅葺屋根の山門が見事です。
福島の梁川、山形の米沢、宮城の岩出山と、伊達家とともに移動し、政宗公が仙台開府するにあたり現在の青葉区八幡町に移されました。
仙台の龍宝寺(神仏分離令以前は大崎八幡神社の別当寺)は、藩政時代は70ヶ寺が属した大寺院で、城下最大の門前町でした。
山門の前には、これまた珍しい茅葺の鐘楼がありました。
梁川八幡境内は福島県の史跡名勝に指定されており、周辺は公園や広場になっていて、広い駐車場もあります。
下画像の建物は公衆トイレですが、すばらしくきれいで最新の設備でした。
梁川八幡神社
〒960-0722
福島県伊達市梁川町八幡堂庭地内
次回は【愛姫13歳で政宗のもとへ嫁ぐ、受け渡しの地『柳川八幡神社vol.2』】へつづく