仙台六芒星の一角『仙台東照宮』で伊達家と徳川家のルーツに思いを馳せる ~仙台東照宮/青葉区東照宮~

おでかけ

こんにちは!こはくです。

キンっとした仙台らしさを感じる毎日。紅葉もそろそろ終わりを迎えるのでしょうか。

四季が美しい日本、歴史を感じたいなと電車に乗っておでかけです。

 

七五三の季節なんですね。地元で撮った、今は亡き大好きな祖父との七五三での一枚が頭をよぎりましたよ。


神社名:仙台東照宮(せんだいとうしょうぐう)
電話番号:022-234-3247
住所:宮城県仙台市青葉区青葉区東照宮一丁目6番1号
参考:ホームページ宮城県神社庁

 

<電車>JR仙山線 「東照宮駅」徒歩約3分
*東照宮は全国各地にあれど駅名にもなっているのは仙台だけ!

<車>東北自動車道 「仙台・宮城IC」より約20分

狛犬さんには徳川家の家紋、【葵紋】が見えますね。

そういえば「日本人の家紋離れが深刻」だなんてニュースになっていました。ご自身のおうちの家紋、ご存知ですか?

石鳥居の向こうの朱色の橋と紅葉がとても映えていて、季節を目でも肌でも。寒いね、の言葉が寺社仏閣では似合う気がしています。

日光東照宮(栃木県)、久能山東照宮(静岡県)には参拝したことがあるのに、実はコチラ仙台東照宮は初めてなこはくです。

石灯籠は重要文化財。
ずらりと並ぶ石灯籠、多くは伊達家一門から寄贈されたもの。この石灯籠にも歴史あり!だということを案内板で知りました。ぜひそれは現地で。参道は緩やかな階段です。

 

階段を上りきると出迎えてくるのは大きな随身門(ずいしんもん)と呼ばれる門です。

お寺でいう仁王門にあたり、左右に帯刀し弓矢を持った随身像が配置されています。国指定重要文化財です。

随身門をくぐり、見えてくるのが拝殿です。

七五三の時期ですし、たくさんの親子連れの方がお子様の健やかな成長を願い御祈祷を受けられていました。

拝殿に向かって左手には手水舎(てみずしゃ)があります。こちらは県指定有形文化財。

お水がない?!と思っていたら自動センサーでお水が流れてきました。

いよいよ参拝です。

仙台東照宮には東照大権現(とうしょうだいごんげん)こと『徳川家康公』が祀られています。承応3年 (1654年)仙台藩藩主であった伊達忠宗公によって創建され、徳川家だけではなく伊達家にもゆかりがあります。

少し歴史を覗いてみましょうか。

伊達家と徳川家のご縁

こちら仙台東照宮の歴史は古く、創建は徳川家康公の死後40年後の承応3年(1654年)まで遡ります。仙台東照宮を創建したのは伊達政宗公の次男、伊達忠宗公です。

この伊達忠宗公は徳川家康公の孫にあたる孝勝院振姫(こうしょういんふりひめ)が嫁いだ先ということもあって、伊達家と徳川家には深いご縁があるのですね。

伊達忠宗公と仙台東照宮


仙台東照宮HPより)

伊達忠宗公によって創建された仙台東照宮ですが、これは忠宗公が江戸幕府への忠誠を示すために建てたとされています。

忠宗公のこの忠誠は父である政宗公の徳川家に対する想い・遺志を継いだとも言われているんですよ。

慶安2年(1649年)8月に着工され、完成までには5年もの歳月を費やしました。使用された材料、従事した職人はどれも選りすぐりのもので贅を尽くし伊達家らしい粋な造りを感じられるものとなりました。

この地だった理由

仙台東照宮は徳川家康公が天正19年(1591年)に奥州の一揆鎮圧からの帰路、休憩に立ち寄った場所に建てられました。

幕府へはこの地に建てるという選定理由として、その”立ち寄った”記録を伝えて許可が下りたのです。

とはいえこの仙台東照宮は政宗公が仙台の街に張った六芒星の一つで、中でも要所となる場所に建ちます。

仙台城から見て北東で鬼門にあたる場所なのです。風水を生かして仙台の街づくりをした政宗公には家康公を鬼門の守り神にしたい想いもこっそりあったのかもしれません。

鬼門から裏鬼門である仙台城を通り過ぎそのまま線を引いていくと日光東照宮にぶつかるのも何か意味が…?政宗公に想いを馳せてしまいます。

個人的には政宗公が豊臣秀吉公の命令で米沢から岩出山へ移ることになった時、岩出山の城を築いたのが徳川家康公だったという歴史的背景も関係しているのではないかという説も気になっています。

伊達政宗公の六芒星とは?

青葉神社・宮城県護国神社(仙台城跡)・榴岡天満宮・大崎八幡宮・愛宕神社・仙台東照宮の建つ場所を線で結び組み合わせると六芒星が出現するといわれています。

この六芒星は伊達政宗公が仙台に張った結界のことを指し、わたしがご紹介した中では榴岡天満宮・愛宕神社・青葉神社に次ぐ4つ目となりますが、全部そろったときにまた改めてご紹介させてください。

榴岡天満宮
愛宕神社
青葉神社

鬼門・裏鬼門とは

鬼門(きもん)とは北東の方角のことで【陽の気】が、南西の裏鬼門(うらきもん)からは【陰の気】が吹き出し互いに磁石のように引き付けあうという性質を持つため真っすぐ中心を通って互いに交流すると言われます。

真っ直ぐ中心を通って互いに交流するとなると、仙台城下の中心地を通ることになります。

そこで、その両鬼門である要所に『仙台東照宮(鬼門)』『仙台城(裏鬼門)』を置き仙台の守りを固めたのかもしれません。

鬼門に関することには不吉な方位としての諸説もありますが、徳川家に忠誠心があった政宗公はそうした不吉な方位だとは思っていなかった気がするのです。

東照宮と徳川家康公

東照宮というのは徳川家康公を祀る神社を指します。

徳川家康公は、死後「東照大権現(あまてらすだいごんげん)」という神号(しんごう)を与えられ、薬師如来として崇められています。

東照大権現の東照(あまてらす)とは、東方薬師瑠璃光如来(とうほうやくしるりこうにょらい)の事で、東方薬師瑠璃光如来とは薬師如来(やくしにょらい)を指します。薬師如来は東方にある浄瑠璃世界の仏様です。

江戸幕府を開いた徳川家康公=東圀(江戸)から明るく照らしてくれる仏様=薬師如来=東照大権現となったようなのですね。

ちなみに大権現は神号(しんごう)=神としての称号で、神様や仏様が人間などの仮の姿でこの世に姿を現す事を権現といいます。

他にも諸説ありますが、薬師如来は人々の病気を鎮めて苦しみから解放してくださる仏様とも言われているため家康公の健康指向に由来しているという説が個人的には特に好きです。

東照宮そのものの歴史は、徳川家康公が駿府城(すんぷじょう=静岡県)で死去した後に久能山(くのうざん)に家康公を安置するために江戸幕府によって創建された久能山東照宮が始まりです。

その後、幕府は日光にも東照宮を建て多い時期には700社ほどの東照宮が日本各地に造られたと言われています。

 

御朱印などは拝殿に向かって右側でお願いすることができます。

所狭しとお守りやお札が。キティ守やキキララの健康守はお子さんだけでなく可愛いもの好きな女性も身に着けやすいですよね。

いくつかあるおみくじから気になるこちらを引いてみました。御遺訓(ごゆいくん)と呼ばれる名言が書かれていましたよ。

今回はおみくじの内容が良かったため持ち帰りましたが、内容が少しショックな時こういう一言(願いごとがかないますように)があるのはとても心があたたまります。

御朱印は300円を納めます。東照宮についての説明紙も一緒にいただけました。

個人的には帰りに見たこちらの風景がとてもお気に入りです。

徳川家の家紋ばかりを見かけるのに、伊達政宗公をはじめ伊達家の息吹も感じられる不思議な場所でした。

政宗公が当時から仙台の街を守ることを考えておられた想いが、時を越え今にも伝わっているということでもあるのかもしれませんね。

穏やかなお天気の日にはお散歩するにも良い季節。ぜひ徳川家と伊達家の歴史を感じる仙台東照宮へ参拝に訪れてはいかがでしょうか。


神社名:仙台東照宮(せんだいとうしょうぐう)
電話番号:022-234-3247
住所:宮城県仙台市青葉区青葉区東照宮一丁目6番1号
参考:ホームページ宮城県神社庁