サン・ファン館で伊達の黒船とも呼ばれたサンファン・バウティスタ号と共に想いを馳せる歴史の旅路【石巻市】

おでかけ

こんにちは!こはくです。

お天気が良いと海が見たくなる!
ということで、今回は石巻市にありますサン・ファン館とサンファン・バウティスタ号をご紹介します。
何度訪れているかわからないくらい、以前仙台に住んでいる時からお気に入りの場所。

残念ながら今は立ち入ることが出来なくなったサンファン・バウティスタ号ですが、優美で力強い姿がそこにはありました。

施設名:サン・ファン館 宮城県慶長使節船ミュージアム
電話番号:0225-24-2210
住所:宮城県石巻市渡波字大森30-2
営業時間:9:30~16:30
休館日:火曜日(祝日除く)・年末年始
入館料:一般350円/高校生以下無料
参考:公式ホームページ

<電車>
JR石巻線 渡波(わたのは)駅より徒歩25分/タクシー5分
<車>
三陸自動車道 石巻河南インターより 約25分

 

支倉常長公らが見たイタリア広場をイメージして作られているという広場。異国を感じて、思わず走りだしたくなります。

夢を叶える鐘も一突き。美しく鳴り響く鐘の音に思わず手を合わせてしまったりして。夢、叶うと良いな。

もう何度訪れたかわからないサン・ファン館ですが、ゆっくり見て回ったのは久々でした。

自動券売機で入館チケットを購入するのですが、受付にいたスタッフさんが対応してくださり『現在サンファンバウティスタ号とドック横への立ち入りが出来ないこと・そのため入館料が半額』になっていることなどの説明を受けました。

入館してすぐ、サンファンシアターにて映画の上映があるということでそのままシアターへ。

『夢の果てまでも』(約20分)
17世紀初頭のサン・ファン・バウティスタの航海や支倉常長らの興奮に満ちた旅路を再現します。(引用元:ホームページ

約20分のストーリー仕立てでしたが、お話に引き込まれあっという間でとても面白かったです。

長い旅路で起きる海上での様々な苦難に同じように一喜一憂し、難航する交渉にもどかしさを感じる支倉常長公の気持ちを垣間見ながら切なくなったり心配したり、まるで一緒に旅をしているような気持ちに。物語になっているので、お子さんにもわかりやすいと思いました。

続いて…

【2019年春 上映開始】
『サン・ファン・バウティスタ VR船内ツアー』(約20分)
現在、老朽化の影響により立ち入りできない復元船内の様子と、実際には見ることのできない上空からの様子を、当館アテンダントがご案内!
高精細なコンピューターグラフィックスにより再現したサン・ファン・バウティスタを、臨場感あふれる大型スクリーンに映し出します。(引用元:ホームページ

以前実際に乗船して見学したサンファン・バウティスタ号内での想い出が蘇るとともに、臨場感あふれる美しい映像とわかりやすい案内に自分だけで見学していた時よりも更に思い入れが強くなった気さえしました。伊達政宗公による工夫があちこちに凝らされ、それでいて装飾も美しい船だったことが伺えます。

個人的にとてもカッコイイなと思った案内表示。慶長使節が派遣された時代やその足跡をジオラマやパネルなどを使ってわかりやすく紹介されていました。

伊達政宗と慶長遣欧使節

今から約400年前、仙台藩主伊達政宗が仙台領内でのキリスト教布教容認と引き換えにノビスパニア(メキシコ)との直接貿易を求めて、イスパニア(スペイン)国王およびローマ教皇のもとに派遣した外交使節です。

使節に選ばれた政宗の家臣支倉常長は、宣教師ルイス・ソテロとともに、仙台藩内で建造された洋式帆船「サン・ファン・バウティスタ」で太平洋を渡りました。

(引用元:ホームページ

メキシコとの直接貿易を求める伊達政宗公の命により海を渡ったルイス・ソテロ、支倉常長公を含む使節を慶長遣欧使節と呼ぶのですね。

向かって一番左が支倉常長公・真ん中が伊達政宗公・右が宣教師です。メキシコとの交易を認めてもらうため、スペインへ行けとの命を出している場面です。

シアターでのお話を観た後でしたので、より分かりやすく感じました。それぞれの人の様々な思惑が…

こちら、支倉常長公の肖像画の原画はローマ・ボルゲーゼ宮に所蔵とのことです。

支倉常長=慶長遣欧使節団を率いてヨーロッパまで渡航し、アジア人として唯一無二のローマ貴族、及びフランシスコ派カトリック教徒となった。(引用元:Wikipedia

様々な『日本人初』という経験をしている支倉常長公。ぜひそのあたりもサン・ファン館で知っていただけたら、と思います。わたしは宮城県にご縁が出来るまで、その歴史を知りませんでした。

交渉について

1613年10月28日、支倉常長ら一行を乗せた慶長使節船「サン・ファン・バウティスタ」は、月浦(雄勝との説もある)からイタリアのローマを目指し90日間の航海の後、当時スペイン領だったメキシコのアカプルコに入港。

ここから先はスペイン艦隊に便乗し、日本人として初めて大西洋を渡りました。ベラクルスを出帆した一行は嵐のため、途中キューバのハバナにも寄港しています。

スペイン上陸後はコリア・デル・リオ、セビリア、スペインの首都マドリードへと旅を続け、ここでスペイン国王フェリペ3世に謁見し、政宗の書状を渡します。

その後、常長は国王隣席のもとキリスト教の洗礼を受け、イタリアのローマへ。ローマ市に入る際、使節一行を歓迎する華やかなパレードが行われました。

そして1615年11月3日、支倉常長はついにヴァチカン宮殿でローマ教皇パウロ5世と謁見し、宣教師派遣とメキシコとの通商を申し込みました。

常長はローマ市民権を与えられ、ローマ貴族に列せられましたが、ローマ教皇は宣教師の派遣は同意したものの、通商についてはスペイン国王に一任しただけでした。

再びスペインに戻った常長でしたが、長旅の疲れで健康を害した上、旅費の欠乏も重なっていました。

それでも常長は国王、教皇にメキシコとの通商許可の請願を繰り返し、使命の実現に努力しましたが、返答を得られないままやむなく帰路につきました。
(引用元:ホームページ

支倉常長公はスペインでキリスト教の洗礼を受け、ローマでは歓迎もされ…それなのになかなか進まない交渉にもどかしく思い悩んだことでしょう。そして良い返事をもらえぬまま帰路へ…。

その後

サンファン・バウティスタ号や使節団について学べたところで気になる「その後」

サンファン・バウティスタ号はマニラでスペイン艦隊に船を買収され、日本には戻ることなくその後どんな運命をたどったか伝えられていないそうです。まさかの…。

メキシコまで戻った常長は、そこへ迎えに来ていたサン・ファン・バウティスタに乗りフィリピンのマニラに到着後、マニラでスペイン艦隊に船を買収されたので長崎まで別の船に乗って、1620年9月22日、ようやく仙台にたどり着いたのでした。

しかし、帰国した常長を待ち受けていたのは、徳川幕府の禁教令でした。常長は表舞台に立つことなく、帰国して1年後の1621年(※)7月1日病没したと伝えられています。(※1622年の説もあり)
(引用元:ホームページ

そして、支倉常長公は別の船で仙台へ。仙台へ戻れるまで7年の月日が経っていたようです。
それなのに、徳川幕府の禁教令(日本では主にキリスト教禁止令)がありスペインで洗礼を受けキリシタンとなっていた支倉常長公は表舞台に立てず、亡くなったとのこと。さぞ無念だったことでしょう…。

こちらは「支倉の苦悩ー孤独な交渉」とタイトルがついた展示でした。

貿易交渉許可を得て凱旋帰国していたら、もっと様々なことが記録されていたのかもしれないですよね。常長公の扱いも、仙台藩の扱いも違ったのでしょうか。

伊達政宗公の夢を乗せて航海をしたサンファン・バウティスタ号。

船名の由来

Sant Juan Bautista(サンファンバウティスタ)とは洗礼者 聖ヨハネのことです。
1617年3月13日付けメキシコ発新イスパニア総督よりスペイン国王への書簡の中に登場するこの船名は、後に使節船の建造に携わることとなったスペイン人ビスカイノ一行と伊達政宗の江戸市中での出会いの日(1611.6.24)が、洗礼者聖ヨハネの祭日に当たっていたことから命名されたものと推定されます(引用元:ホームページ

船名にはそんな由来があったのですね。

当時の建造について

伊達政宗はスペイン人ビスカイノと幕府船手奉行の指導、協力を得てサン・ファン・バウティスタを建造しました。造船に必要な材木は、すべて仙台藩領から切り出し、外板や甲板に使用しました。
杉板は気仙、東山(岩手県東磐井地方)方面から、曲木は片浜通り(気仙沼地方)や磐井・江刺からそれぞれ伐採し、北上川を利用して運ばれたと言われています。
シピオーネ・アマチ『伊達政宗遣使録』によれば大工800人、鍛冶700人、雑役3000人の人手を使い、約45日で建造されたとあります。(引用元:ホームページ

 

その他の主な展示

航海中は保存がきくものが中心なため栄養価の高い食事が摂りにくい中、ビタミンCが含まれた仙台味噌のおかげで航海につきものの壊血病が発生しなかったそうです。仙台味噌すごい!

☆壊血病=出血性の障害が体内の各器官で生じる病気。ビタミンC欠乏状態が数週間から数カ月続くと症状が出現。衰弱死につながることも。

東日本大震災についての展示です。被害を受けたサン・ファン館やサンファン・バウティスタ号の修復の記録をパネルや映像で紹介されていました。正直、直視できない自分もいたり。もうすぐ同じ日がやってきますね…。

舵取り人さん。右後ろに見えている旗には支倉常長公が使用していた家紋『逆卍に違い矢斜め十字』が。
船も好きなこはくですが、大航海時代の帆船文化の展示は大変ワクワクしました。

宮城県のご当地コアラがいるとは知りませんでしたよ…!

サンファン・バウティスタ号は2021年以降に公開展示を終え解体されることが決まったそうです。
解体の噂を聞いたのは仙台を離れている時期だったかと思います。とても衝撃的で、解体前にもう1度!を願っていました。後継船によるリニューアルの方針も決まっているようですが、今のサンファン・バウティスタ号が見られるのは今だけかもしれません。

3月23日までは『サンファン号のすべて』という企画展もありますので、約30年の足跡をぜひ。

 

おわりに。

何度も訪れているはずのサン・ファン館、そして見ていたはずのサンファン・バウティスタ号。
それでも今回新たに知ったことがたくさんあったように感じます。
偉業にばかり目がいきがちですが、その背景には様々な苦悩や困難もあったことを忘れずにいたいなと思いました。
もう1度!を願ったサンファン・バウティスタ号を再び見ることが出来て嬉しくもあり、もうすぐお別れになるのかと思うと寂しくもあり…。

ぜひみなさんも優美で力強さを感じるサンファン・バウティスタ号、慶長使節船についてもわかりやすく学べるサン・ファン館へ行ってみてくださいね。

施設名:サン・ファン館 宮城県慶長使節船ミュージアム
電話番号:0225-24-2210
住所:宮城県石巻市渡波字大森30-2
営業時間:9:30~16:30
休館日:火曜日(祝日除く)・年末年始
入館料:一般350円/高校生以下無料
参考:公式ホームページ