【311から10年】この海を見渡せる今に自分の役割を考える~わたり温泉鳥の海/亘理町~

おでかけ

黙祷。

POCHIです。東日本大震災からちょうど10年。色々と思い出します。伝えることも語ることも難しいけれど、それでも私と東日本大震災というテーマで、本日はお伝えしたいと思います。

3月11日と時計と大地震

私には不思議な法則がありました。それは、何かが起こる時、時計が関わるという事です。

何かが起こる時、何かが終わる時、必ず時計が止まったり落ちたりして何度もその現象を体験するうちに、それは自分に起こる必然なんだと受け入れるようになっていました。

2011年3月11日の午前中、休暇的に長期滞在していた宮城県の仮住まいで壁にかけてあった時計が突然落ちてきました。

その時、親しい友人にはメールで「落ちるわけがない時計が落ちた。きっと何かある」と連絡していて「気を付けるように」という返信をもらってもいました。

雪のちらつく午後2時46分。地震・・・。

阪神淡路大震災の圧死が頭にあった私はすぐに外に飛び出しました。隣接の住宅からは「登校拒否」だと聞いていた女子高校生が菜箸を持ったまま飛び出してきました。

「親が今、いなくて・・・」と言い終わらないうちにさらに激しい揺れ。駐車場の車はトランポリンの上にあるかのように揺れ飛び、私達も立ってはいられませんでした。

幸い仮住まいは形を保ち、備えも万全だった私の生活には、さほど問題はありませんでした。

地震が3月12日であったなら100%被害に遭っていたという事

3月12日の午後1時頃、私は女川に用事がありました。

帰りの予定は女川を2時過ぎに出発。帰路のルートは沿岸部の道一択。土地勘のない私にとっては、その道を通って帰る以外の知識がありませんでした。

カーナビに『高台』という目的地はありません。それ以前に宮城の人間ではない私に地震=高台に逃げるという知識さえもありませんでした。

通信の事

電話もダメ、メールもダメ。数日後に設置された衛星電話に並んだことを、今の今までずっと忘れていました。

「POCHI、大丈夫か?」

「なんで、返信ないの?電話もつながらない・・・」

「大丈夫よな?」

「おーーーいPOCHI !!」

という友人達のメールはなかなか届かず、ようやく確認出来たころのメールの内容が

「たのむーーーーーーーーーー!生きててくれーーーー!!!」

だった時は言葉になりませんでした。

どうして?と思った事

□「おにぎり3個セット1000円」という商売をしていた飲食店(お約束のようにその後潰れました)

□石巻市の倒壊家屋からおばあさんとそのお孫さんが救出されたのが、3月21日。テレビ番組の「笑っていいとも!」が再開したのが3月22日。

別にテレビだけのせいにするわけじゃないけれど、タイミング的には、この頃から多くの人達が実際の被災地から少しずつズレた感覚を持っていったのではないでしょうか?

□「お花見をしながら、みんなでミサンガ編んでます!出来上がったら石巻に送りますね」という
美味しそうな花見弁当と共に写るミサンガの画像がSNSにアップされたのは確か3月25日頃。

被災者の気持ちを逆なでしたこと言うまでもありません。

□「避難所にあなたが感動した本を1冊贈ろう!」という3月17日頃立ち上がったとあるサイトの企画。

その2日前には支援が一切来なかった東松島市の避難所野蒜小学校から被災者の皆さんが再避難という状況。

その頃、冷たくてかたいおにぎりに避難所の高齢者が次々に体調を崩すという現状が日本全国には伝わらない状態。

救出や生存の感動以外を感じたくない場所に、それ以外の感動を配ろうとする行為にまで被災者は感謝すべきだったのか?

その時から、いや、今後においてもそれは課題なのだと思います。

不謹慎の事

生存が確認された私は「よーし!生きてさえいれば地球にマヨネーズをかけて食べるようなバリバリアウトドアPOCHIだから大丈夫!」という友人の声のように、本当に不自由を感じない生活でした。

けれど、一番しんどかったのが「不謹慎」との闘い。

どこまで笑い、どこまで食べて、そして生きのびる価値がある人間だったのか?という自問自答の長い時間が私の唯一の2011年の被災という状態でした。

私の一番の被災の事

私の本当の被災は1年後の2012年にやってきました。諸々あって被災地に入っていた私に来た連絡はこうでした。

「今度、同窓会するんだけど、その中に被災地支援を入れようと思うのね。で、POCHIそっちにいるんならなんか、こう、同窓会が盛り上がるイイ支援何かない?」

一瞬、良いことをする同窓会に見えるかもしれません。けれど、同窓会を盛り上げる為の支援なのか被災地に寄り添った支援なのか、ということが相当議論になりました。

結果「POCHIさあ、もうそういう温度差は仕方ないじゃない!とにかく、同窓会を盛り上げることに重きを置いて!」

学年同窓会だったので参加者は約100人。ホテルで行われた一次会と二次会で動いたと思われるお金の金額は約120万円。イイ支援に回ってきた金額は約2万円でした。私は欠席。

当時は、同級生と相当バトルになりました~(笑)

この話まだまだ根の深い詳細があるのですが、広げても良い事は何もないので、このくらいにしておきます(笑)

今では同級生と違う温度を肌で感じられた良い経験に感謝しています。

その後、頻繁に宮城県入りする日々。そして近年、仙台に移住

震災をきっかけに『被災地支援』というテーマには、かなりのエネルギーを費やす人生となりました。

「ボランティア」という言葉を毛嫌いし「あ・た・り・ま・え」と強く言い換えることは仲間内で有名です(笑)

そんな時間の中にいて2021年1月から『マチプラ』のライターに仲間入りさせていただき、記事をかかせていただく感謝な流れに。

2011年3月11日には考えてもいない未来でした。

そんな私が亘理の海を見ながら考えた事

「自分のやるべきことをもう一度考えてみよう」ということでした。

穏やかな青い海、長く続く防潮堤。「ただ直視するだけでいいのか?私が見てもいいのか?」とも思いました。

震災から7年かけて完全復活した『わたり温泉鳥の海』

2014年に日帰り温泉のみ復活。

 

入口を入ると雰囲気のいい書や竹がお出迎えしてくれます。

 

温泉は5階。

 

港が見えるエレベーターで5階へ向かいます。

 

料金は一般客は700円。町民の方は500円。

 

休憩室から見える景色です。露天風呂からも同じ景色が見えます。お湯はとろみのある美肌の湯。

 

青い海を見ながら色々考えていたら、いつの間にかやってきた美しい夕日が「ガタガタ考えてないで目の前の日々を頑張んなさい!」と。

「了解!」

そう、生きてるんだから頑張るのみ!

「お腹が空いたら美味しいものを食べてチャージ!」も、出来ます。

チャージして進むぞ!さ、マチプラライターPOCHI!『わたり温泉鳥の海』を紹介して皆に来てもらうんだ!

とても良い温泉です!

お湯は鳴子温泉のうなぎの湯に似ていて、入ると普通の温泉より何か得した感じで、湯上り肌はすべっすべ!

そして、露店風呂の景色は抜群に良いです!海を感じ、空が語ってくれますよ。

近くには『鳥の海ふれあい市場』もあります(POCHIのおススメ店舗)

美味しいお土産、たくさん買って帰りましょう!

【パックの中の魚がピチピチ活きているのが普通な店】鮮魚好き天国~鳥の海ふれあい市場/亘理町~

重篤被災地でもある亘理町を訪ねて応援!

けれど、それ以上の元気をもらえてしまう場所です。絶対的におススメです!

2021年3月11日。POCHIはこの記事を書き、さらに歩みを進める為にここにいると確信しています。

万物に感謝。

施設詳細

施設名 わたり温泉 鳥の海

住所 宮城県亘理郡亘理町荒浜字築港通り41番地2

予約センターTel.022-398-2211(電話受付時間/10:00〜17:00)

日帰り入浴時間 10:00~20:00(最終受付は19:30)※サマータイム ~21:00(最終受付20:30)

料金 大人(中学生以上) 700円 / 小人 250円 / 幼児 無料
亘理町民(及び同伴者) 500円※「温泉倶楽部会員」に入会していただく必要がございます。

温泉浴場の入れ替え [奇数日] 1日・3日… 太平洋側浴場『東の湯』が「男性」
[偶数日] 2日・4日… 太平洋側浴場『東の湯』が「女性」

温泉の泉質 ナトリウム一塩化物泉 低張性弱アルカリ温泉
(温質別適応症 きりきず・冷え性・皮膚乾燥症 通常時加水なし、加温使用、循環浴槽)

*参考*

わたり温泉鳥の海:ホームページ