猫を崇拝する風習
”丸森を勝手に盛り上げ隊”仙台支部長のユーホーです。
猫の歴史において、古代エジプトでは神の化身として猫を崇拝し、非常に大切にして繫栄していました。
日本では江戸時代頃より養蚕が栄え、ネズミ除けのための猫信仰が各地にありました。
猫を神格化し、石碑を立てたり神社を建立する風習の名残が、現代にも残っています。
全国的にみると石碑は、長野県11基、岩手県10基、福島県8基、高知県5基、栃木県4基、青森・山形・東京は各2基、千葉・岡山は各1基。
宮城県は実に111基が見つかっており、その分布の中心は80基を数える丸森町なのです!
石碑73基、猫を模った石像7基です。~丸森町文化財友の会調べ
猫碑の解説本は、まるもりふるさと館で購入できます。税込み800円。
*コロナ禍により、5/11まで休館となります。
瑞雲寺~佐野製糸場跡
町内金山地区にある金龍山瑞雲寺は、室町時代の長禄二年(1458年) 瑚海仲珊禅師(こかいちゅうさんぜんじ、新潟県村上市、耕雲寺四世)により新潟県村上市の耕雲寺の末寺として金龍山中腹を整地して開かれたのに始まります。
その後、天正の頃に本堂がひどく荒廃したので伊達陸奥守藩士中島伊勢守宗求公(瑞雲寺中興開基)が建物を修理、そして田畑を寄進し中島公の菩提所として瑞雲寺を維持されました。~瑞雲寺サイトより
参道登り口左手の、杉の木の下に猫碑があります。
瑞雲寺は金山城主中島家の菩提寺として庇護をうけてきました。
その麓には、かつての栄華をしのばせる佐野製糸場跡(現在田畑で石垣のみ)があります。
1885年、政商小野組で東北地方での養蚕業を担当していた佐野理八が、1874年の小野組破産後、すでに経営していた福島二本松製糸場を譲り、交通の便がよく、養蚕が盛んな金山に戸長の協力で独力で製糸場を創建。
1886年、フランス製最新製糸機械を導入し、操業を開始。年間3000貫の生糸を生産、博覧会で優秀賞を受け、国内外、欧米までにも知られるようになりました。
しかし、大正中期以降は世界的不況で県内絹糸工場は厳しい環境に陥り、佐野製糸工場も昭和12年に完全に閉鎖しました。~丸森町観光案内所サイトより
瑞雲寺北側の小富士山・山頂に工女の墓地があります。
この小道はずっと奥まで車で通行可能を知らずに、(すぐソコ感の看板を見て)軽い気持ちで徒歩で行ってみたら…結構な距離がありまして…ヒィィ、、
息を切らしながら工女墓へお参りを。ヒィ…フゥ
猫愛日本一の町!?
一般的に石碑は、講(職業上の目的を達成するために結ばれた、組合のような組織)などの集団で立てたものが多く見られますが、丸森の猫碑は個人が立てたものがほとんどで、可愛がっていた猫を供養する目的と伝えられています。
石碑の猫たちは、首輪(ひも状の布をうしろでリボン結びにした)が描かれているものもあり、ペットとしても可愛がられていたことが伺われます。
佐野製糸場の工女たちも、仕事の合間に猫たちと戯れて癒しを得ていたかもしれません。
耕野地区の不動堂内には、招き猫の小像が多く祀られ、養蚕のネズミ除けに一体借りて行き、蚕がよく出来たら二体にして返すという「倍返し」の民間信仰がありました。
大張大蔵の猫神の祠は、猫の無病息災や病気治療に霊験があるということで、近隣から参拝する人が多数いたようです。
参拝する際は、ドジョウを桶に入れて祠の前に置き、拝んでから近くの田んぼにドジョウを放したそうです。
これは、捕らえた生き物を野に放すという殺生を戒める慈悲行のひとつ、仏教の教えです。
丸森町が、これほどの”猫神様の聖地感”を醸しているわけですが、前記事でお話を伺ったまるもりデザイン会長の照井氏曰く「町内の人もほとんど知らない」 ぇ…
80基のうち、たった一か所だけでこの奥深さですから、制覇するには何日かかるでしょう。
四国八十八か所ならぬ『丸森猫碑80基巡礼』はいかがでしょうか?
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まるもり – 丸森町観光案内所 (marumori.jp)