伊達政宗から、二代忠宗の側近に抜擢された美青年家臣・古内主膳重広公。
容姿端麗でデキル男ながら、当時としては非常にめずらしい夫婦単体同一墓石を建てたほどの、愛妻家でもあった。
その正室・宝樹院については、高木家から嫁いだということ以外の記録が一切無く、謎の人物であった。
最近、ひょんなことから高木家末裔の娘・徳永さん(旧姓高木、現いわき市在住)と縁があり、ご先祖のお話を伺う機会がもてたので、記録として残しておこうと思う。
先祖代々の口伝~高木家のルーツ
川俣町は福島の中通りに位置し、町中に広瀬川が流れている。(仙台の広瀬川はこの川から命名された)
町内に、”古内”という地区があり、知る人ぞ知る見事な枝垂桜を見ることができる。
戦国時代、この一帯は伊達氏の領地だった。
伊達氏家臣の古内氏が住んだ古内館跡に高木家が居をかまえたのは、高木家から仙台の古内家へ娘(宝樹院)を嫁がせた際に、この土地を拝領したからである。
以後、徳永さんの実家でもあるこの家は、脈々と高木家当主が継承している。
わかっているだけで高木家歴代当主は、村長、警察官、神社神主、米農家、養蚕、歴史研究者(町史の編纂)等を経ている。
当時の女性は、お姫様であっても記録に残されることはほぼ皆無に近いが、先代当主による歴史研究と口伝伝承が、町史に書き記されるとなれば、貴重な史料になるのである。
宝樹院は、仙台市の根白石にある大満寺に、重広公と共に眠っている。
参照:虚空蔵山 大満寺
古民家が軒を連ねる町並み
川俣は養蚕で栄えた町で、豪商だった高橋家住宅は保存会が結成され、定期的に一般公開されているようだ。
約170年前の1851(嘉永4)年、現在の土地と建物(現奥座敷)を高橋家が購入した。
この建物は元々は、伊達家のお抱え医師(御典医)石川休仙の屋敷だったと伝えられている。
住宅の真向かいには、1915年に開業した川俣銀行(現東邦銀行川俣支店)があったという。
NHK朝ドラ「エール」のモデルとなった福島市出身の作曲家古関裕而が、高校卒業後に行員として2年勤務していたことでも知られる。
その古関氏が、銀行の屋根の上でハーモニカを吹いていたのを目撃されている。
参照:【建物語】高橋家住宅・川俣町 時代読みしなやかに:建物語:福島民友新聞社 みんゆうNet (minyu-net.com)
福島の広瀬川は、阿武隈川を源流に、南へ、柳川~伊達市~川俣の大綱木あたりまで流れている。
川俣の桜は今が満開
常泉寺
広大な敷地内に、町を見下ろすような枝垂桜が圧巻
中央公園(河股城跡)の小手姫像
山頂の小手姫像は、この地に養蚕をもたらした祖といわれている。
秋山の駒ザクラ
花見に来ていた老夫婦の会話が耳に残る。「毎年見さ来てっけど、、、全然変わらねぇな~」
帰りの山道で、突如真っ黒なフレコンバッグの大群が目に入った。
そうだった、ここも311の原発被災地なのだ。
黒光りする山の向こうに、さっき見た美しいピンク色の巨木が見え隠れした。
人間がやらかした大罪にも動じず、毎年変わらず咲き誇る。
住所:福島県伊達郡川俣町秋山字小長石