宮城県柴田郡村田町は、町の7割が緩やかな丘陵で、中心部は東西北の三方を山に囲まれた盆地であり、市街地の東部を荒川が流れるなど、地形が京都に酷似しています。
さらに古い蔵の街並みが残っていることからも、「みちのく宮城の小京都」として知られています。
そしてもうひとつの特徴は、古墳の密集地であることです。
道の駅村田の敷地内に、「村田町歴史みらい館」という資料館が併設されていますが、拝観無料なのにかなりの見ごたえがあります。
旧石器時代から藩政時代までの歴史資料が展示されていますが、(平日の午後だからか)貸し切り状態で、冷房も効いてるし静かで快適な時間を過ごすことができました。
立派な資料館です。まずは左手の年表に見入ってしまいました。とてもわかりやすい。
手前は古墳時代のアクセサリーですが、左の金銅製耳輪の細工がすごい。
ちょっと角をとったきれいな円形で、耳たぶに挟めるのか、ピアスのように穴をあけてはめこむのかわからないけど、2ミリほどの隙間あり。
村田町だけでも、これだけの数の古墳が集中しています。前回の記事に書いた名取の雷神山古墳は東北最大級の前方後円墳ですが、村田町の古墳群は数でいうと東北最大規模なのです。
資料館のすぐ隣には村田城跡の城山公園が整備されています。
遊歩道には、全国から寄せられた俳句や詩、地元の子どもたちの言葉を刻んだ94個の石碑が並んでいます。
山頂に、村田城本丸跡が開けます。
丘陵山頂部に本丸、南東に一段下がって二の丸、本丸東側に三の丸、北側に帯曲輪と堀切を隔て出丸が設けられていました。
村田城主は、1400年代に小山九郎業朝という人が下野から村田に移り住み、伊達家臣となって村田氏を称し館を築いたのが始まりとされています。
そこから複雑に領主替えがあり、1684年に芝多氏が移住してから184年間を居館としました。
最後の片平氏で明治維新を迎え、村田城は解体され大手門は願勝寺に払い下げられました。
空堀の土塁上を歩いて、突き当りから城跡を見下ろすことができます。
築城の「防御」を目的とした土木工事跡が、各所で解説されており、自由に入ってこの目で確認ができるという、城マニアにはたまらない”山城の仕掛け”が当時のまま残されています。
仙台城は山全体を要塞とした大規模な山城で、見事な石垣を築いています。
村田城は、政宗の時代より150年ほど前から続く自然の地形を生かした山城で、石垣はありません。
しかし山内に二の丸・三の丸・出丸を置くなど、戦国期を乗り切るための長期の籠城に耐えうる備えが見て取れます。
城山公園は、(いい意味で)だれにも会わない散歩コースに、最高です!
道の駅村田・歴史資料館・城跡、同敷地内で半日楽しむことができました。
次は【村田町の史跡その2~日本武尊(やまとたけるのみこと)を祀る白鳥神社】へつづく
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