病難退散!三輪流神楽と共に歴史を刻む神社【加美町/薬莱神社 】

おでかけ

こんにちは!こはくです。

そろそろ夏の暑さも和らいでくる頃でしょうか。日に日に秋の気配も。皆様、どんな夏でしたか?

さて、今回は何度も遊びに行っているはずの加美町。
やくらいガーデンに遊びに行った帰り道に緑に映える朱色が目に入り、薬莱神社さんへ導かれるように参拝してきましたのでご紹介します。

神社名:薬莱神社(やくらいじんじゃ)
電話番号:0229-67-2312
住所:宮城県加美郡加美町字上野目大宮7
参考:ホームページ

 

古川ICから車で約40分

見えていた朱色を目指し車を走らせていくと、看板が。薬莱神社里宮と書かれていました。

周りを見渡しても駐車場らしきものがないので、そのまま車で境内へ。

鳥居をくぐって真っ直ぐ行くと道が右へ自然と曲がりますので、そのまま道なりに。

おっ。発見!!駐車場と書かれていました♪

およそ10台ほどが停まるくらいのスペースでしょうか。

駐車場横からも入れましたが、せっかくなので駐車場から一度戻って、二の鳥居(境内2基目の鳥居のこと)からくぐり直しました。

奥に見える社門に趣がありますね。

茅葺屋根(かやぶきやね)の社門は珍しい気がします。加美町の有形文化財に指定。こちらの社門の由来が個人的に大変興味深く、面白いなととても感じました。

社門について

社門は正柱三本立の変形式で、三ツ脚門・七ツ脚門と呼ばれています。

貞享元年(西暦1689年)伊達家が深く信仰された塩竈神社のお釜が不思議にもカラカラになり、いくら水を入れても貯まらなくなってしまいました。

兇変の兆しと領内の神官・僧侶・修験者が加持祈祷を行ったががなかった。

兇変(きょうへん:悪い出来事、不吉な出来事)

加持祈祷(かじきとう:密教において重視される呪文を唱えて神仏に祈ること)

・験(げん:ききめ)

三輪流神楽と褒美

そこで薬莱神社伝来の三輪流神楽が藩命を受け塩竈神社神前に於いて七日間祈雨泰平の神楽を奉演し、満願の時慈雨の恵を得た。

殿様は大変喜び、その賞として何を望むかと問われたので、大手門のような立派な門が欲しいと答えた。 殿様は大変困り、番所のような門では具合が悪いから柱を一本抜いたもの竪引両紋をつけることでどうだと仰せられ、有り難く頂戴したものです。

・三輪流神楽(みわりゅうかぐら:宮城県重要無形文化財指定)

・祈雨泰平(きうたいへい:雨乞い / 世の中がよく治まり平穏である・こと)

・満願(まんがん:願望が満たされること)

・番所(ばんしょ:警備や見張りのために設置された番人が詰めるために設けられた施設)

・竪引両(たてひきりょう:伊達家の三ツ引両の紋)

社門の左手前側が不思議な状態に見えますよね。反対側から見るとよくわかるのですが、こちらはぜひ直接ご覧になってください!

ちなみに殿様の仰せになった番所のような門では「具合が悪い」はここでは”機能の状態”を指すことで、番所のような門に見えるのはあまり芳しくないという意味合いになり、優しいお気持ちが伺えますね。

三輪流神楽は<春秋2回の祭典> 5月9日・11月23日に演舞されています。
法印神楽(ほういんかぐら:法印(修験者)が伝えた神楽)の系統に入りますが、宮城県内にあって同一、類似の神楽は存在せず貴重な文化財といわれているそうです。

他に氏子青年会の事業として、各地の福祉養護施設等にて慰問演舞を行われているんだとか。

ぜひ一度見てみたい!

社門をくぐり左手側に手水舎(てみずしゃ)です。

龍の口からお手水が出ているタイプ。柄杓もわかりやすいところにありました。

いよいよ社殿へ。緑に包まれ、荘厳な雰囲気に気持ちもシャンとします。

狛犬さんがなかなかの迫力でした!

石碑を見ても正直すべては読み切れず(視力が悪いのもあります…)帰宅後改めて調べてみると、とても深い歴史がある神社さんだとわかりました。

創建について

天平9年(西暦737年)、鎮守府将軍大野東人が軍事輸送のために色麻柵より出羽国に至る通称「玉野道路」を開いた時、悪疫が流行し多くの兵士や人夫斃れた

 ・鎮守府将軍(ちんじゅふしょうぐん:奈良時代から平安時代にかけて陸奥国に置かれた軍政府である鎮守府の長官・令外官)

・大野東人(おおののあずまびと:奈良時代の公卿(くぎょう:公家の中でも日本の律令の規定に基づく太政官の最高幹部として国政を担う職位・武人)

・色麻柵(しかまのさく:現在の加美郡色麻町、一の関遺跡があたるとされている)

・出羽国(でわのくに:現在の山形県と秋田県)

・玉野道路(玉野とは現在山形県尾花沢市が有力)

・悪疫(あくえき:たちの悪い流行病)

・人夫(にんぷ:力仕事に従事する肉体労働者や国家権力・共同体に命令されて労働の夫役に従事している人民)

・斃れた(たおれ:人が死ぬことをより丁寧に表した表現)

薬莱神社の神様

薬莱山上に医薬の守護神『大己貴神』『少彦名神』を祀って鎮伏と工事の完成を祈願し無事工事を終えたと伝えられ、これが当社創建の事となっております。

・大己貴神(おおなむちのかみ:大国主命(おおくにぬしのみこと)の異称)

・少彦名神(すくなひこなのかみ:大国主神とともに全国を回って国土を開拓した神とされています)

*二神共にまじないや医療、お酒の神と言われる

・鎮伏(ちんぷく:病気の病魔などをしずめ退治すること)

征夷大将軍 坂上田村麻呂

やがて延暦23年(西暦804年)になりますと征夷大将軍坂上田村麿東征の折、薬莱山上に日吉二十一社の内より薬師三社(山王、八幡、白山)を勧請し、同時に上野目大宮に大宮大明神(現在の里宮)、本郷の地へ八王子一社を奉祀して東国安泰万民康楽を祈りました。

・征夷大将軍(せいいたいしょうぐん:朝廷の令外官の一つ)

・征夷=蝦夷(えぞ:古代、関東以北に住んでいた人々。えみし。北海道の古称。を征討するという意味)

・坂上田村麿(さかのうえのたむらまろ:平安時代の公卿(くぎょう)・武官)

・東征(とうせい:東方へ征伐に行くこと)

・勧請(かんじょう:仏様がいつでもこの世におられて人々を教え導いてくださるようにお願いすること。また、高層などを懇請して迎えること)

爾来、山号を「薬莱山」と称し医薬の守護、病難退散、壽福招幸の守り神として近郷一帯はもちろん東北・関東地方より信仰されております。
鎌倉期貞和2年(西暦1346年)大崎家兼公がこの地を領するに及んで深く尊信され、その庇護を受け大崎鎮護の大神と仰がれるに至りました。

・爾来(じらい:その後、それ以来)

伊達氏の領土に

その後伊達氏版図に入るや一転、采邑所領の全てが没収され社運は衰微し、その護持は困窮を極めたと言われます。しかし、別当祀官(べっとうしかん)は修験者となって奉仕し守り続け、明治維新後村内の神社を合祀し現在を迎えております。
薬莱山はその秀麗な容姿で知られ、加美富士(神富士)、東小富士或いは姫山などとも呼ばれ親しまれております。

・版図(はんと:一国の領域。領土)

・采邑所領(さいゆうしょりょう:領有している土地)

・衰微(すいび:衰えて勢いが弱ること)

・護持(ごじ:大切に守り保つこと、尊んで守護すること)

・修験者(しゅげんじゃ:山へ籠もって厳しい修行を行うことにより、悟りを得ることを目的とする日本古来の山岳信仰が仏教に取り入れられた日本独特の宗教。この実践者を修験者または山伏という)

現在の薬莱神社

現在の薬莱神社は山上に奥宮と上野目大宮に里宮の二社殿になっており、里宮は拝殿(慶長10年頃・西暦1605年頃)、本殿(大宮明神 享保12年・西暦1727年頃)の建造であります。

社紋は三種あり車前草紋(オオバコ)で坂上田村麿勧請のしるし、五七桐は大崎家が朝廷より拝領の紋で尊信深いしるし、竪引の紋(たてひきのもん)は伊達家より社門と共にいただいたものであります。

・坂上田村麿(さかのうえのたむらまろ:平安時代の公卿(くぎょう)・武官)

・勧請(かんじょう:仏様がいつでもこの世におられて人々を教え導いてくださるようにお願いすること。また、高層などを懇請して迎えること)

なんと…!ご利益がありがたい、古来よりなくてはならない神社さんなんですね。何をするにも身体が資本です。

病難退散!

御朱印は社殿横のこちら授与所でいただけます。

どなたもいらっしゃらなかったので、こちらのボタンを待ちました。ボタンがあるのはかなり助かりますす!お守りもたくさん並んでいましたよ。

中でも気になったのがこちら↓

秘密の絵馬…願い事の木札を絵馬の中に収めるタイプで、願い事は木札に絵馬本体の裏には年月日とお名前を書くようです。【初穂料 金1000円】

境内には鐘つき堂。

神社に鐘つき堂?と思われる方もいらっしゃるかもしれませんね。神社に鐘つき堂があることも稀にはありますが、こちらは薬莱神社さんの歴史(明治維新後の合祀)が関係しているのではないかと個人的に思っています。

絵馬殿です。みなさんの願いが叶いますように!!

御朱印は300円を納めます。こちらの御朱印には個人的に、学ぶことがたくさんありました。

陸前国と書かれている御朱印は初めてです。駅名では見かけていてなんとなく馴染みはあるとはいえ、そういえば詳しく知らないな…と思いました。

陸前国:領域はほぼ現在の宮城県にあたるが宮城県南部の亘理郡、伊具郡、刈田郡、角田市、白石市を含まない。岩手県南東部の気仙郡、陸前高田市、大船渡市、釜石市南部を含む。

とのことで、宮城県と岩手県の一部なんですね。

こちらの加美町をはじめ仙台市も陸前国に入ることになるのですが、本当に歴史は奥深い!地名にも読み解ける歴史の名残があったり、凄いですよね。これからもっと楽しくなりそうです。

そして、御朱印の真ん中「病難退散薬莱神社」という朱印の文字。
病難退散」は病気にかかわる全ての難や災を祓い清め退けるということを意味します。

見かけることの多い「病気平癒」は病気になられた方が全快しますようにと祈願するものなので、似ているようで少し意味合いが違っているんですね。

 

ぜひ皆さんも病難退散、歴史の息吹を感じる薬莱神社さんへ参拝に行かれてくださいね♪

こはくの御朱印集めは続く…

 

神社名:薬莱神社(やくらいじんじゃ)
電話番号:0229-67-2312
住所:宮城県加美郡加美町字上野目大宮7
参考:ホームページ