こんにちは!こはくです。
仙台に戻りはじめてのお正月。
2日はいつもと違うところへ参拝に行ってみよう!と気になっていた熊野神社さんへ参拝に行ってきましたのでご紹介します。
ちょっと…!この風景は想像していませんでしたよ…しばし立ち尽くしました。
神社名:熊野神社(くまのじんじゃ)
電話番号:022-386-8838
住所:名取市高舘熊野堂字岩口上51
参考:名取市観光物産協会 宮城県神社庁
<電車>
名取駅より乗合バスなとりん号「熊野堂」下車 徒歩約3分
<車>
東北自動車道 仙台南ICより約20分
仙台南部道路 山田ICより約17分
この鳥居の辺りは車の往来が激しいので、気を付けてくださいね。
時代を感じる鳥居。こちらの『熊野神社』は『熊野那智神社』と『 熊野本宮社』の名取熊野三山の一つで、中心的存在でもあります。
以前は「熊野新宮社」の名でしたが、明治以降「熊野神社」と改称されました。
名取熊野三山
全国に3000社以上ある熊野神社のうちおよそ700社が東北地方に存在するが、その東北の熊野信仰の中心的存在にあったのが名取熊野三社である。
仙台湾を熊野灘、名取川を熊野川、高舘丘陵を熊野連山に模し、本宮・新宮・那智の三社が他の地域とは異なりそれぞれ別に勧請されている。
紀伊熊野の三社それぞれを地理的・方角的に同様にセット状態で勧請しているのは非常に珍しく、全国の熊野神社の中でもここだけであるとされる。
(引用元:Wikipedia)
こんなすごい歴史的背景があるとは知りませんでした…!
紀伊熊野三山
熊野三山(くまのさんざん)は、熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社の3つの神社の総称。熊野三山の名前からもわかる通り、仏教的要素が強い。日本全国に約3千社ある熊野神社の総本社である。
2004年7月に、ユネスコの世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産として登録された。(引用元:Wikipedia)
和歌山県にある熊野三山へは、両親の友人が和歌山県にいたこともあり旅行しながら毎年三か所を入れ替えながら参拝に行っていた思い出の地。とてもご縁を感じます。
鳥居をくぐり、参道を歩いて行くと左側にお堂が見えてきます。
後光がまぶしい『新宮寺文殊堂』です。
新宮寺文殊堂
三間四面の宝形造りで、建立年代は定かではないが文政2年(1819年)伊達斉村が再興したといわれる。お堂には本尊「文殊菩薩」とその従者四体が安置してあり一切経も約3000巻伝わっている。
(引用元:境内案内)
伊達斉村(だてなりむら)=陸奥国仙台藩8代藩主・伊達氏24代当主。現在の作並温泉、若松旅館を開く許可を出したという逸話も残っている人物。
ちなみに、これほど多くの一切経が残っているのは平泉の中尊寺経(紺紙金銀字交書一切経)を除くと東日本では他に例が無いそうです。
文殊堂をから参道に戻ると見えてくる風景が美しい…。季節が違うとまた新たな表情を見せてくれそうですよね。
思わず足を止めてしばらく眺めてしまいました。
鐘楼にも後光が…!
手水舎です。お清めをし、奥に見える石に特に意識も向けていなかったのですが、ナント!その石は『源頼朝公』が腰掛けた石だと伝わっているそうです。お写真…取り損ね…ました…。
源頼朝公伝説
文治5年(1189)源頼朝公は奥羽東征の際、熊野神社で戦勝を祈願し、平泉との戦いに勝利したその帰途、お礼参りをして本殿前に松樹を手植したと伝えられています。源頼朝公腰掛之石は、その際腰かけた石と言われます。
(引用元:名取市観光物産協会)
本殿です。荘厳ですね。目の前に建つと、本殿の中が見えるのですがとても美しく神聖な雰囲気にカメラを向けられませんでした。ぜひ実際に感じていただきたいと思います。
熊野神社ご祭神
ご祭神は速玉男尊(はやたまのおのみこと)、伊弉再尊(いざなみのみこと)、事解男尊(ことさかのおのみこと)、菊理姫神(くくりひめのかみ)、ほかに4柱をお祀りし、東北地方屈指の熊野神社の一つとされています。
(引用元:名取市観光物産協会)
『宝物殿』の横の案内板には『熊野新宮本殿』についての詳しい説明がありました。熊野造と呼ばれる建築様式で宮城県指定有形文化財です。
御朱印はこちらでいただけます。お守りやおみくじもずらりと並んでいましたよ。神職の方が皆さんとても親切で、御朱印を扱ってくださった方は紋入りの美しい紫の袴をお召しでした。紋入りの紫ということは宮司さんだったのかもしれません。
大きな池に橋が架かる、浮島に建つ建物は閉まっていますがこちらは神楽殿です。
熊野堂神楽と熊野堂舞楽
慈覚大師の山寺立石寺(山形市)開山に随行してきた渡来楽人の林家(大阪四天王寺楽人)の系統を伝えたものといわれ、神話「記紀」を題材にした伝承5曲が披露されます。
熊野堂舞楽は県内に伝わっている数少ない舞楽の一つで、代々7軒の社家によって相伝され、門外不出となっています。
熊野堂神楽は出雲の流れをくむ岩戸神楽で、仙台周辺および県南部に分布する神楽の元祖とされています。
伝わっている演目は十三番で、番外編として「巫女舞」があり、県指定の無形民俗文化財に指定されています。神楽を舞う7人の社家は従来から世襲とされており、今日でも厳格に守られています。(引用元:名取市観光物産協会)
春と秋の例祭で披露されるそうで、こんな美しい場所で見られるなんて…と興味は尽きません。ぜひ見てみたい。
御朱印は300円を納めます。
同じ日に三社すべてを回り参拝しましたので、またご紹介させてください。
最後に名取熊野三社の由緒についてご紹介します。
境内に案内板もありましたが、名取市観光物産協会さんのサイトがわかりやすかったので引用させていただきます。
名取熊野三社と名取老女
名取の地に熊野三社を勧請したのは“名取老女”と言われています。昔、名取には毎年紀州熊野に参詣する巫女がいました。しかし年老いて参拝できなくなり付近に小さな熊野三社を建てお参りしていました。
ある日、一人の山伏が老女を訪ねてきて「自分は奥州巡遊を志し、旅の安全祈願のため紀州熊野権現へ参拝して一夜のお篭をしたところ、「名取の老女を訪ねよ」というお告げがあり、目覚めると枕もとには、『みちとおし としもいつしかおいにけり おもいおこせよ われもわすれじ』と虫食いで記された一枚の梛(なぎ)の葉があったため持参した。」と話して、老女にその梛の葉を渡しました。
名取の老女はたいへん感激し、自分が建てて毎日お参りしていた小社に山伏を案内したことで老女の信心深い徳が広がり、保安年間(1120年代)現在の地に熊野三社が勧請されました。
(引用元:名取市観光物産協会)
名取熊野三社の由緒には『名取老女』という巫女さんが関係しているんですね。熊野神社奥の院には「名取老女の宮」も建っているそうです(奥の院は通常非公開)
以前、仙台に住んでいる頃に『名取老女の墓』という看板が目に留まり寄ってみたことがありました。その時はとてもひっそりとした印象で、歴史すらもわからなかったのですが、まさかここでお名前をお見掛けするとはびっくり!
最近通った際にはとてもきれいに整備されていたのを見かけたので、改めて後日ご紹介させていただきたいと思います。
まるで時代絵巻のような美しい熊野神社。気持ちがとても落ち着きます。伊達家とも深いゆかりがあり、またその歴史も。季節毎に違う表情を見せてくれそうです。ぜひこの美しさをその目で。参拝に行かれてみて下さいね。
神社名:熊野神社(くまのじんじゃ)
電話番号:022-386-8838
住所:名取市高舘熊野堂字岩口上51
参考:名取市観光物産協会 宮城県神社庁