ユーホーです。
慶長5年(1600年)のこの日、伊達政宗公は青葉山に立ち、城の縄張り始めを行いました。
この時期に決めた理由は、歴史資料には残されていませんが、【冬至】を意識したのではないかと思われます。
12/25はキリストの誕生日ではなく、古代より太陽を神格化した太陽信仰の祭が行われていました。
冬至は、太陽が死んで生まれ変わる日。
この日を境に夏至に向けてエネルギーを増大していくのです。
キリスト教は冬至の祭に”キリストの誕生(再生)を祝う日”をあてがい、世界的に宗教を広めていったようです。
国内の有名なストーンサークル(祭祀場跡)にも、二至二分の太陽の運行を表す建造物が残されています。
縄文時代から人々は天体を観察し、五穀豊穣を祈り、死生観を宇宙に向けていたのがわかります。
明治に日本でもグレゴリオ暦を採用し、元旦に初日の出を拝む習慣が浸透していきましたが、本来は冬至が1年の始まりとされていました。
城下の聖山青葉山を起点とした場合、冬至の日の出は愛宕山と大年寺山の重なり合う中間から昇ってきます。
時刻は6:55頃、方角は119.7°。
右の鉄塔は大年寺山のテレビ塔。大年寺山は仙台藩主4代以降の墓所があります。
左側は愛宕山で、六芒星の南にあたる愛宕神社と、青葉山にあった千躰仏が祀られています。
そして愛宕山の手前は経ヶ峰(藩主3代までの墓所瑞鳳殿)です。
愛宕山と大年寺山には古墳時代の横穴墓群があり、青葉山の裏手は縄文遺跡です。
ちょうど太陽が昇る所が『懸造 かけづくり』跡です。冬至の日の出の方角に一致します。
「ここに、懸け造を建てよ」by MASAMUNE
伊達氏にとって、米沢や岩出山の城にもあった重要な建造物であり、城下から見上げると、山城に突き出た懸け造が見えたというわけです。
城下の中心(芭蕉の辻付近)から見ると、城の背後に太陽が沈んでいきます。城下の人々は、城に向かって手を合わせたことでしょう。
【仙台城下町百景】懸造想像図
夜明け前
出典:星の街仙台