街の風景までも神域のよう…名取にて熊野詣~熊野那智神社~【名取市】

おでかけ

こんにちは!こはくです。

今回は前回に引き続き、名取熊野三山から『熊野那智神社』をご紹介します。

名取熊野三山とは

全国に3000社以上ある熊野神社のうちおよそ700社が東北地方に存在するが、その東北の熊野信仰の中心的存在にあったのが名取熊野三社である。

仙台湾を熊野灘、名取川を熊野川、高舘丘陵を熊野連山に模し、本宮・新宮・那智の三社が他の地域とは異なりそれぞれ別に勧請されている。

紀伊熊野の三社それぞれを地理的・方角的に同様にセット状態で勧請しているのは非常に珍しく、全国の熊野神社の中でもここだけであるとされる。

(引用元:Wikipedia

☆前回の記事『熊野神社』はコチラ
まるで時代絵巻!名取にて神々しい熊野詣~熊野神社~

とても気になる注意書き…!

 

神社名:熊野那智神社(くまのなちじんじゃ)
電話番号:022‐765-8217住所:宮城県名取市高舘吉田字舘山8
参考:公式ホームページ 宮城県神社庁

<電車>
名取駅より乗合バスなとりん号「那智が丘2丁目」下車 徒歩約15分
<車>
東北自動車道 仙台南ICより約30分
仙台南部道路 山田ICより約25分

この日はお正月なのもあってか、たくさんの車が往来していました。
熊野那智神社さんは高館山の山頂・住宅街の先にありますので、お車の方はもちろんバスで来られる方も歩かれる際は気を付けてくださいね。

街について

熊野那智神社の近くには那智が丘のまちが広がっています。
平成の初めに開発された新しいまちです。
いま熊野那智神社に参詣する場合はこのまちを車で通るのが近道。
このまちの名前は熊野那智神社からいただいたもので全国でも珍しいもの。

(引用元:公式ホームページ

実は初めての参拝だった、熊野那智神社さん。
ですが「那智が丘」という名前は道路標識で目にしておりましたし、那智が丘にも何度か訪れたことがあったのでこの街の名前の由来にはびっくり。

男性は左側、女性は右側御通行ください

とあります。
皆さん(もちろんわたしも)その通りに歩きましたが、理由は見つかりませんでした。どんな由来があるんだろう?社務所でお聞きすればよかったな。

普段、どなたかと歩く時は左側が落ち着くのですが女性は本来右側にいるのが良いのでしょうか。

手水舎でしっかり清めます。

社殿です。朱色が目を引きますね。

熊野那智神社ご祭神

ご祭神は羽黒飛龍大神(はぐろひりゅうのおおかみ)、熊野夫須美大神(くまのむすびのおおかみ)ほか4柱をお祀りしています。
(引用元:熊野那智神社公式ホームページ

 

鐘堂です。こちらの鐘は打たせていただくことが可能でしたので、心を込め静かに打たせていただきました。

那智滝

社殿南側には鐘堂がある。そばには階段があり、その先には紀州の那智滝を写した那智滝と飛瀧神社(祭神:大巳貴命)、飛龍権現の本地仏である不動明王を祀る不動堂が鎮座している。

(引用元:Wikipedia

この日は気付けなかったのですが、鐘堂の先には滝があるそうです。和歌山県の『那智の滝』は観光スポットとしても有名ですよね。次回は鐘堂の奥まで歩いて行こうと思います。

石祠群がありました。

こちらの建物、展望台だと思っていたのですが実は神門だそうです。

この下がまさかの表参道…!

下の広い場所から石段が続いているのですがその広場はこの日、車を停めた場所。てっきり石段は駐車場からの近道だと思い、正式に参拝しようとぐるり坂道を上りこちらの石段を登らなかったんですよね…。

神門からの眺めがとても美しく、なんだか神域のように感じられました。海まで見えますね。夜景も美しいそうですよ。

神門内に掲げられていた写真。神々しいですね。

猫さんを大切にされているのでしょうか。猫さんがお守りなどの説明をしてくれている案内を見かけたり、実際に猫さんにも出会いました。

 

さて皆さん、これまでに何かお気づきになりませんか…?
表参道に気付けなかったのも、もしかしたら無意識のうちに影響を受けていたのかもしれません。

 

実はこちらの熊野那智神社さんには神社のシンボルでもある『鳥居』がないのです。鐘堂はあっても、鳥居がない
神仏習合の影響が色濃く残ったのかもしれませんね。

ちょっと歴史を覗いてみましょう。

熊野那智神社について

 

伝説によると養老3年(719年)閖上の漁夫が海底から御神体を引き上げた際、輝くご神体の光が止まる所が高舘山であったことから、そこに宮社を建て羽黒大権現としてお祀りしました。

(引用元:名取観光物産協会

権現(ごんげん)=日本の神の神号の一つ。日本の神々を仏教の仏や菩薩が仮の姿で現れたものとする神号で権という文字は「臨時の」「仮の」という意味で、仏が「仮に」神の形を取って「現れた」ことを示します。

ちなみに『閖上』という地名はこの時引き上げた御神体のお告げからついたそうです。

閖上の名の由来

お告げに「波のまにまに、水の門なる廣ノ浦に揺り揚がることを以て、門に水を配して閖上(ユリアガリ)ノ濱と称せよ」いう託宣もあり、これより廣ノ浦を閖上と改めた説があります。また、ご神体をゆだねた藤のイカダを海中に解き放したが、それが向こう岸に流れ着き大きな藤の塚に成長したとつたえられている。それ故その地を藤塚と呼び現在もその名が残っています。

(引用元:熊野那智神社公式ホームページ

元々、閖上は「廣ノ浦」と呼ばれていたようです。お告げにより『閖上』と改められたんですね。

熊野那智神社由緒

保安四年名取老女なる者、紀州熊野三社を高舘の地に勧請する、那智の御分霊を当山に合祀するにあたりこれより熊野那智権現と号し、この地も吉田村と改める。
伊達家代々の崇敬厚く社地を拡張し社殿を造営し、年々祭祀料として三石五斗を寄進し社領の保護に尽くした。明治初め現社号に改められ、同五年村社列格、同四十年三月供進社に指定。明治初め元本社の末社春日神社、同四十二年に村内に鎮座していた、高舘、日吉、御田、薬師、八幡の各社を合祀し現在に至る。(引用元:熊野那智神社公式ホームページ

そして名取老女さんが熊野三社を勧請したことにより那智の分霊を合祀して「熊野那智神社」と改称され、合祀が続いたようです。

ここに神仏習合の影響が色濃く残ったままの理由があるのでしょうか。

神仏習合とは

神仏習合(しんぶつしゅうごう)とは、日本土着の神祇信仰(神道)と仏教信仰(日本の仏教)が融合し一つの信仰体系として再構成(習合)された宗教現象。
当初は仏教が主、神道が従であり、平安時代には神前での読経や、神に菩薩号を付ける行為なども多くなった。
江戸時代に入ると神道の優位を説く思想が隆盛し、明治維新に伴う神仏判然令以前の日本は、1000年以上「神仏習合」の時代が続いた。

(引用元:Wikipedia

神社の中に寺院が建つことも珍しくなく区別がなかったんですね。現在では鐘堂は寺院、鳥居が神社のシンボルとも取れますよね。

熊野那智神社と神仏分離令

明治元年(1868年)の太政官布による神仏分離令を受け、社殿に奉納されていた御正体である懸仏などが関係者によって密かに埋められたが、明治31年(1898年)7月の拝殿移築の際床下から再発見された。このうち、懸仏・銅鏡41点が国の重要文化財、懸仏・銅鏡114点が宮城県指定有形文化財となっている。

(引用元:Wikipedia

神仏分離令(しんぶつぶんりれい)とは神道と仏教との区別を明確にしようとする宗教政策のことで『神と仏』・『神社と寺院』とをはっきり区別させることとしたのです。

その影響もあり、各地で過激な廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)運動が起こります。

廃仏毀釈とは

廃仏毀釈(廢佛毀釋、排仏棄釈、はいぶつきしゃく)とは、仏教寺院・仏像・経巻(経文の巻物)を破毀(破棄)し、仏教を廃することを指す。「廃仏」は仏を廃(破壊)し、「毀釈」は、釈迦(釈尊)の教えを壊(毀)すという意味。

(引用元:Wikipedia

廃仏毀釈とは寺院や仏像、仏具などを破壊することです。

明治5年に神仏分離令が撤回されたのですが、5年の間に多くの貴重な仏教建築物が被害を受けたとされています。

その中で密かに埋められ残された熊野那智神社の懸仏などは国の重要文化財・宮城県指定有形文化財となるほど、とても貴重ということになりますね。

 

神仏習合の影響が残るとはいえ熊野神社さんは鐘堂も鳥居も両方ありました。神仏分離令の際には仏教色のものはすべて境内にある「新宮寺文殊堂」に移されたとされています。

それなのに、こちらにはどうして「鳥居がない」ほどその影響が色濃く残ったのか謎が残ってしまいましたよ…。そこもまた歴史の奥深さでしょうか。興味が尽きません。

御朱印

御朱印は300円を納めます(今回の御朱印はもしかするとお正月限定のものかもしれません)

こちらの神職の方も大変親切で”金粉が乾くまでしばらく待って欲しい”ことをお伝えくださったのですが、「紙を挟むとそちらにすべてが移ってしまうため開いたままでいて下さい」と説明くださりました。

その金粉には八咫烏(ヤタガラス)のお姿が。

八咫烏は、熊野三山で神様の使いとされています。サッカー日本代表のシンボルとしても有名ですよね。八咫烏と日本サッカーについては、熊野那智神社のサイトからPDFの資料へと飛べますので気になる方はぜひ。
八咫烏と日本サッカー

 

最後に名取熊野三社の由緒についてご紹介します。

名取熊野三社と名取老女

名取の地に熊野三社を勧請したのは“名取老女”と言われています。昔、名取には毎年紀州熊野に参詣する巫女がいました。しかし年老いて参拝できなくなり付近に小さな熊野三社を建てお参りしていました。

ある日、一人の山伏が老女を訪ねてきて「自分は奥州巡遊を志し、旅の安全祈願のため紀州熊野権現へ参拝して一夜のお篭をしたところ、「名取の老女を訪ねよ」というお告げがあり、目覚めると枕もとには、『みちとおし としもいつしかおいにけり おもいおこせよ われもわすれじ』と虫食いで記された一枚の梛(なぎ)の葉があったため持参した。」と話して、老女にその梛の葉を渡しました。

名取の老女はたいへん感激し、自分が建てて毎日お参りしていた小社に山伏を案内したことで老女の信心深い徳が広がり、保安年間(1120年代)現在の地に熊野三社が勧請されました。

(引用元:名取市観光物産協会

 

眼下に広がる街の風景までもがまるで神域のように美しく、興味深い歴史の残る熊野那智神社さん。
”山で一番大きくて目立つ”ことから「山一」と呼ばれる古代杉などの大木や、夏には境内に紫陽花が咲き誇るそうなので自然も豊かです♪

ぜひ皆さんも参拝へ行かれてみて下さいね。

 

神社名:熊野那智神社(くまのなちじんじゃ)
電話番号:022‐765-8217住所:宮城県名取市高舘吉田字舘山8
参考:公式ホームページ 宮城県神社庁

<電車>
名取駅より乗合バスなとりん号「那智が丘2丁目」下車 徒歩約15分
<車>
東北自動車道 仙台南ICより約30分
仙台南部道路 山田ICより約25分

猫さんと。

社名が確認できなかったのですが、車を停めた場所から熊野那智神社さんへ向かう途中に出会ったお社にも立ち寄り参拝しました。

そこで可愛い猫さん。どんどん近づいてきてくれ、最終的に撫でさせてくれてしばしご一緒に♡そして何やら視線を感じ振り返ると…ほかに3匹の猫さんに見守られているという嬉しい状況でした。笑