『丸森町』日本昔ばなしの世界観漂う山奥に680年間咲き続けるウバヒガンザクラ~【宮城歴史浪漫シリーズvol.49】

おでかけ

コロナ禍じゃなくても極力人混みを避けたいユーホーです。

この季節、車で走っていてもいたるところで満開の桜が見られ、目の保養になりますね。

2019年10月の台風19号の豪雨で、山腹崩壊や長引く断水で甚大な被災地となった丸森町は、記憶に新しいと思います。

私もその時、知り合いの実家が陸の孤島となり、住人と犬3頭を脱出させるべく出動しました。

美しい自然に囲まれた小さな町は、311の津波被災地を思わせる惨状で、がけ崩れで不通になった道路は、いまだに復旧していない箇所があります。

町内南(福島との県境)に位置する限界集落筆甫(ひっぽ)地区は、とくに酷かった。

復旧しようにも車が入って行けず、行政の助けを待つより先に住民が自ら土木作業に奮闘した経緯は、SNSやメディアでも配信されました。

ひっぽの名所 ウバヒガンザクラ(親王桜)

かなりの大木で、幹はゴジラのようで今にも動き出しそうな迫力があります。

太陽が顔を出すまで1時間待った甲斐がありました。この間も見学者は3組ほど。

この先は行き止まりで、このご神木を見たい人しか、この場所へはたどりつけません。

10台分ほどの無料駐車場があります。

 

筆甫地区は、歴史的背景に謎が多くよくわかっていませんが、仙台藩の家臣を置かず藩の直轄地とされたようです。

1610年に東海林備後というキリシタン武士が一族と共に移り住み、村の肝入り(名主)として”たたら製鉄”を村の産業とし、仙台藩に功を奏しました。

たたら製鉄とは、日本 において 古代 から 近世 にかけて発展した 製鉄法 で、日本刀の素材である玉鋼(たまはがね)を生み出す。
(引用元:Wikipedia

村人は懸命に働いて、鉄を年貢として藩に納め、平和に暮らしていたようですが、幕府の禁教令により(伊達政宗公の庇護を受けていたようですが)、1638年ついに捕らえられました。

地区内にある茅葺のマリア観音堂(阿弥陀堂)は、東海林氏のご子孫が管理守ってらっしゃるようです。(↓画像は丸森観光案内所のサイトからお借りしました)

 

禁断の山奥にひっそりと堂々と680年も咲き誇る、人を寄せ付けない雰囲気がたまらなくそそられますが、城の鬼門に植えられたという史実もまた、悠久のロマンを感じさせます。

 

2年前の豪雨で県道丸森霊山線が不通となり、現在101号線がう回路です。

伊具高等学校のところから101号線に入ると随所に『↑筆甫』の立て看板があり迷うことはありません。

ガソリンスタンドと「ふでいち」の間を上っていきます。

2018年5月、地元住民の方々と、筆甫に遊びに来てくれるお客様が利用するために作られた、待望のお店「ふでいち」。(地区内に一軒のみ)

地元野菜や手作り味噌、ひっぽブランドのへそ大根や日本酒などが売られています。

この日は土曜で、帰りに寄ろうと思ったら閉めた直後でした(悲)。また来ます!

「ひっぽのお店 ふでいち」宮城県伊具郡丸森町筆甫字平舘82-2

平日:10時~18時
土日:10時~16時定  休日:水曜日

丸森は猫神様の町

養蚕業が盛んだった頃、蚕の天敵ネズミを退治してくれる猫を大切にし、愛し崇めて町のいたるところに石像を建てた。その数は日本一らしい。

思わずパケ買いしてしまうほどのデザイン性。後ろ側までかわいい♪よく見ると隅々まで芸が細かい。

見た目だけじゃなく中身も美味! 栄泉堂(丸森町大内) 148円

フレスコキクチ丸森店でも販売されています。

 

参照:丸森観光案内所