縄文回帰その1~奥松島縄文村で原始の暮らしと精神世界に触れる~奥松島縄文村歴史資料館【宮城歴史浪漫シリーズvol.57】

おでかけ

仙台のレイラインと古代の太陽信仰の関りを研究・発信するユーホーです。

世界遺産を目指す「北海道・北東北の縄文遺跡群」が、今月27日に審議されます。

登録が決まれば、全国的に縄文ブーム到来でしょう。

宮城県内にも縄文遺跡は点在しています。青葉山から長町にかけてもそうですが、東側ですと奥松島に縄文村があります。

国内有数の景勝地松島は、7千年前から景観がほぼ変わることなく、湾の北東部に浮かぶ宮戸島には、日本最大級の規模を持つ国史跡の里浜貝塚があります。

縄文時代前期から弥生時代中期にかけて4千年もの間、原始の人々が暮らした営みの跡が残されています。

奥松島縄文村歴史資料館

*館内撮影及び記事掲載許可済です。下の地図は施設HPよりダウンロードできます。施設に散策MAPが複数ありますが、こちらが一番わかりやすいので、A4サイズのPDFデータを印刷して持参することをお勧めします。

(画像引用元:ホームページより)

館内の貝層はぎ取りの壁面が圧巻です。

 

地形的に見ても、海と山の幸が豊富で食生活は豊かだったことが、ひとめでわかります。

土器の発明は人類にとって、食物の保存や調理を可能にし、情報伝達の広がりによってデザインも変化していきます。

また祭祀を司る重要な役割も果たしました。

 

ファッション

お洒落!現代においても、全然違和感なくイケてると思います!

アクセサリーも、細工が繊細で素敵!

 

土偶

なんじゃこりゃぁ。猫ですか?

私には猫にしか見えないのですが、、、耳のような部分はどうやら髪型のようです。

この土偶は、ふたりの小学生が貝塚見学で発見し、頭部と胴体部分が2年越しで見つかり接合したとあります。

髪型や足の部分がまだ見つかっていないため、正確な姿はわからないが、他の遺跡から出土した土偶を参考に全体像を復元した、とあります。

ちなみに、日本の猫の起源は奈良時代とされてきましたが、2011年に長崎で日本最古の家猫の骨が発掘され、弥生時代後期の半ばのものと判明し、猫の歴史が塗り替えられています。

判明!!日本最古のイエネコの骨 「カラカミ遺跡」遺構から発掘 10月にも 正式発表 | 【公式】壱岐新聞社 (iki-guide.com)

だから、きっとコレ、猫だといいな(←猫好き発言)

 

この中で注目したいのは、上段の左から3番目。

隕石に刻まれるウィドマンシュテッテン構造のような文様が描かれています。

ウィドマンシュテッテン構造 – Wikipedia

土偶の異性人ぽいデザインといい、縄文人は宇宙と繋がっていたのかもしれませんね。

 

儀式によって健康な前歯を抜く、という風習があったようです。

どの頭蓋骨を見ても、歯の上部が削ったようにまっ平になっています。これは、硬いものを食べたり、皮なめしや繊維をしごくなど、歯を酷使していたためにすり減ったものだそう。

 

人が死ぬと、共同墓地(貝塚)に楕円形の穴を掘り、手足を折り曲げて埋葬したようです。

胎児のような姿勢で、再生を祈ったのか、もしくは死者の霊が生きてる人に災いを及ぼさないための封印か。

土器を女性に見立て、亡くなった子供が再び母親のお腹に戻るよう願ったのでしょう。

遺体には赤い顔料がまかれ、鹿角製のペンダントが添えられていました。

子を失った悲しみと、生まれ変わりを願うという、原始時代から変わらぬ親の想いが伝わってくる展示です。

 

中庭と図書コーナー

館内から、日差し降り注ぐ庭園に出て、石のオブジェや緑に癒されながら散策できます。

冷房の効いた館内で中庭を眺めながら読書ができるなんて、最高に贅沢です。

縄文人の生活を垣間見させてもらいましたが、生活・精神面が豊かだったと感じます。

少数の家族単位の共同体で、争いが無く、海と山と太陽や星など自然の神々を崇拝して暮らす。

縄文人て、幸せそう。

 

シアター

15分の短編映画を貸し切り状態で見せていただきました。

主人公は、アテナイという男性とその息子のゲン。

アテナイは狩猟や漁労に長け、ムラ内でも尊敬される人物でした。

女たちは木の実や貝を採取し、ゲンは父からいろいろと教わり成長します。

アテナイはある日、サメ漁で沖に出て、命を落とします。

映画の最後に、”太陽が昇って沈みまた昇るを繰り返す光景に当てはめて転生を祈った”という縄文人の死生観を物語るナレーションが流れました。

まさに、ここ宮戸地区の地形は、太陽が海から昇り海へと沈む様を、一年中見ることができるのです。

太陽を神と崇め、4千年もの間人々が平和に暮らした場所だということが、納得です。

MAP/©星の街仙台

敷地内に、竪穴式住居が再現されています。

中は、想像以上に広いです。真ん中に炉を置き、4~5人の家族単位で暮らしていたようです。

 

奥松島縄文村歴史資料館 (satohama-jomon.jp)

981-0412 宮城県東松島市宮戸字里81-18

開館時間 午前9時00分~午後4時30分
休館日 毎週水曜日(年末年始)
入館料 (団体は20名様から)
個人 団体
一般 400円 300円
高校生 300円 200円
小中学生 150円 100円

*施設HPより100円引きチケットを印刷し窓口で提示すると400円➡300円(大人一人)で入館できます。

宮戸エリアの中でも、縄文村付近は湾になっているため、311の津波では床上浸水したものの、家屋が流されることは避けられたそうです。

野蒜から宮戸へ通ずる道路が津波で破壊され、一般車両が通行禁止になっていましたが、現在は新しく道路が整備され、快適なドライブコースとなっています。

 

さて、実際に縄文人が暮らしていた場所へ行ってみましょう。

資料館を出た後、徒歩で10分ほどのところにある『さとはま縄文の里史跡公園』を散策しました。

縄文人が見たまんまの海がポッカリと現れる、下図の浜辺です。

コロナ禍ということもあり、だれにも遭遇せず、鳥とヒグラシと自分一人の、異空間に身を置きました。

~縄文回帰その2へつづく

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