初めまして、ササ山と申します。
ドライブしながら史跡や温泉を巡るのが好きな昭和生まれです。マニアックなところが多めになりそうですが、これからライターとして他の皆さんと一緒に宮城を紹介していきますのでよろしくお願いします!
初回は多賀城市にある、赤いのぼりが通りがかりに気になった神社「浮嶋神社(うきしまじんじゃ)」を紹介します。
浮嶋神社(うきしまじんじゃ)とは?
浮嶋神社は、住所【多賀城市浮島1-1-1】にある旧村社格の神社で、JR東北本線【国府多賀城駅】から200メートルほど、徒歩3分くらい場所の住宅地にあります。
遠目から見てもこんもりとした森は、まさに陸の島。番地からしても「浮嶋」の名前の由来になったんでしょうね。
階段の上り口にある看板によると、
「正確な創建時期は不明だが神亀元(724)年の多賀城創建の頃より鎮座し」とあります。
主祭神は「奥鹽翁神(おくしおのおきなのかみ)」と「奥鹽老女神(おくしおのおうなのかみ)」。
名前はちょっと違いますが、「奥鹽翁神」は隣の塩竈市にある鹽竈(しおがま)神社に祀(まつ)られている製塩の神様「鹽土老翁神(しおつちおぢのかみ)」と同じ神様と考えられているようです。
こちらは夫婦神の二柱が祀られているので、夫婦和合(ふうふわごう)のご利益もあるみたいですね!
境内はこんな感じ
鳥居をくぐると、こんな立派な社殿が登場!階段を登る前は想像していなかった、明るく広い雰囲気です。
境内には、八幡神社などの境内社のほか、扇型の水盤が彫られた手水鉢(ちょうずばち)「御神石(ごしんせき)」がありました。
昭和15年に満州に渡った氏子さんが無事に帰国したことを記念して奉納したものだそうで、なでたり水盤で手やお金を洗うとご利益があるようです。(ササ山はとりあえずなでてみました)
社務所に人が常駐している神社ではないようなので、御朱印などは無さそうです。
たまに朝近くを通ると、ご近所のみなさんが神社の周辺を綺麗に草刈りをしているのを見かけますし、境内の看板はどれも最近作られたものばかりで、今も地元の方に大切に祀られていることがわかる神社でした。
境内には源融(みなもとのとおる)も祀られている
社殿に向かって右手に、大臣宮(おとどのみや)神社があります。
祭神は「贈正一位源朝臣融卿(ぞうしょういちいみなもとのあそんとおるきょう)」。貞観6(846)年に陸奥出羽按察使(むつでわあぜち)に任命された源融を祀った神社です。
融は弘仁13(822)年に嵯峨さが天皇の第8皇子として生まれ、源氏物語の光源氏のモデルの一人とされていることでも知られています。2022年の今年は生誕1200年に当たるようで、神社の入り口には生誕を祝う看板が掲げられていました。
この神社、元はJR東北本線の高平踏切の南東にあった丘に祀られていた石の祠ほこらを、浮嶋神社に合祀(ごうし)したようです。ササ山が行った時は、この祠の前に立った時に爽やかな風が吹いてきて、歓迎されているような雰囲気を感じました!
融(とおる)は風流を愛する文化人で、「鴨川のほとりに持っていた邸宅に籬ノ島(まがきのしま)<塩竈市にある島>まである塩竈の風景を模した庭園を作り、藻塩まで焼いていた」というから、陸奥の歌枕の地である多賀城や塩竈に憧れを抱いていたことは間違いないでしょう。<実際に多賀城に赴任したかどうかはわかっていないようです。>
おまけ:「しのぶもぢずり」の和歌
祠の脇に、源融が詠んだ和歌があります。
「陸奥のしのぶもぢずり誰ゆゑに みだれそめにし 我ならなくに」
この「しのぶもぢずり」というのは、福島県の信夫しのぶ地方(現在の福島市あたり)で作られていた【タイダイ染め】のようなムラ染めのことで、恋愛で乱れる心模様を例えたものです。
散策に良さげな「歌枕浮島参道」
社殿向かって右手には、「歌枕浮島参道」という、歌枕「浮島」を詠んだ和歌をしたためた看板が連なる道があります。
降りた先は地元の集会所になっていました。こちらの方面には多賀城跡があるので、散策コースにも良さげでした。
和泉式部の歌「いづくなるところをかみしわが身より また浮島はあらじとぞ思ふ」の「いづい」に反応してしまうササ山でした。(多分仙台弁とは関係ない)
参拝情報
浮嶋神社
住所:多賀城市浮島1丁目1−1
アクセス:JR東北本線 国府多賀城駅から徒歩3分/JR仙石線 多賀城駅から徒歩30分
駐車場:無料駐車場あり、付近にコインパーキングあり(24時間300円)
神社の脇に駐車場もちゃんとありました(1台分くらいかな?)。裏手の集会所の前の駐車場も使えるようです。