こんにちは、星の街のユーホーです。
今回は、3話連続で、これぞ仙台は★星の街!という、風水を施したまちづくりのお話です。
伊達家の永遠の繁栄を願うために、政宗公は六芒星の結界の他に、さらにもうひとつの呪術を施しました。
四神(ししん)とは
風水では、東西南北の四方位に禽獣(きんじゅう)の神が宿ることで、その中心はあらゆる厄害から守られ、永遠の繁栄を招くと考えられてきました。五行思想から色も配されていました。中央は黄色となります。
北は「玄武-げんぶ」亀に蛇が絡みついた神 色は黒
東は「青龍-せいりゅう」青い龍 色は青
南は「朱雀-すざく」赤い鳥(鳳凰) 色は赤
西は「白虎-びゃっこ」白い虎 色は白
会津藩では年齢別に玄武隊(50歳以上)、青龍隊(36~49歳)、朱雀隊(18~35歳)、白虎隊(17歳以下)というように四神の名前を部隊名としました。
相撲では、中央の土俵が黄色で、そのまわりを黒・白・赤・青の花房で表していますよね。
日本の風水では、自然環境エネルギーの作用を大地の形状で見た場合、北の玄武は高い山、東の青龍は川の流れ、南の朱雀は沢畔、西の白虎は大道、この4つがそろうと【四神相応の地】として自然エネルギーの充満する大吉相として尊ぶのです。
仙台では、大地形状だけではなく、別な手段をもって城下に四神を配しました。
400年もの間、だれにも知られることなく、仙台は四神に守られてきたのです。(発見者:イナベノ晴明 1995)
守られるべきは仙台城本丸ですから、本丸を中央に、
北の玄武は亀岡八幡宮(亀という字が入っている)
南の朱雀は瑞鳳殿(鳳凰の鳳という字が入っている)
西の白虎は太白山(白)
東の青龍は松島の瑞巌寺(正式名称は、松島青龍山瑞巖円福禅寺)
玄武【亀岡八幡宮】
伊達家初代朝宗公からの氏神様で、松尾芭蕉と曾良が仙台へ来たときに最初に立ち寄っていることから、重要な神社であったことがわかります。
四代藩主のときに建てられましたが、ここは土盛りの人工の山といわれています。鳥居横の説明板には「大いに土木を起こし」とありますが、資料がほとんど残されておらず、謎の多い神社です。(青葉神社の元宮があった場所という説もあり)
白虎【太白山】
UFO目撃談も多いピラミッド型のお山です。その昔「生出森-おいでのもり」と呼ばれ、ある日突然現れたという言い伝えがあります。山頂には貴船神社が祀られています。
海からも見えることから漁師たちからランドマークとして崇められてきました。山の西側の茂庭台には縄文遺跡がありました。
太白という名は、金星の別名「太白星」からとられたといわれていますが、四神の中では唯一自然の地形なので、政宗公はまず最初にここを白虎と定め、白の文字を入れて命名したのではないかと推測します。
朱雀(鳳凰)【瑞鳳殿】
赤い鳥・鳳凰でもあり、子午の呪術でいうと南は’火’ですから火の鳥ともいえます。政宗公自ら、自分が死んだあとはここ経ヶ峯に埋葬するよう遺言した場所とされます。
政宗公の不死、再生を願って子午の呪術を施した場所のひとつです。
青龍【松島青龍山瑞巖円福禅寺】
松島の瑞巌寺の正式名称に「青龍」という文字が含まれていたのです。市内ではなく、50キロも離れた松島に発見するとは!(イナベノセイメイ!ヤベー!パネー!)
松島は古代より「奥州の高野」と呼ばれるほどの聖域で、多くの高僧たちが修行に訪れた場所です。長年廃寺となりましたが、虎哉(こさい)和尚により再建されました。*虎哉和尚は、政宗公の幼少期からの教育係。
(で?だからどーしたの…?)
ハイ、話しはここで終わりません。
この四神の角度がそれぞれ90度ではなく、バラバラですよね。
それには、裏付けがありました。「星」です。中国では、夜空の星にも四神を配していたのでした。
これが偶然の産物ではない証拠を、次回で解説します。
次回は【政宗公は天空の星を地上に降ろした!】へつづく
出典:星の街仙台
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