毎年、伊達政宗公の命日(5/24)月である5月に、2日間をかけた市民参加の最大規模「青葉まつり」が開催されます。
定禅寺通りをメインに、城下は山鉾巡行や神輿渡御、仙台すずめ踊りや武者行列などで賑わい、毎年90万人以上の来場者で盛り上がります。
今年は残念ながら、新型コロナの影響で中止となりました。
仙臺祭から青葉まつりへ
1654年、二代藩主忠宗公が玉手先に仙台東照宮を創建しました。翌年から仙台東照宮の祭礼として「仙臺祭」が開催されます。
これが城下に山鉾が出回る藩内最大の祭りとなりました。
当時は、城下を一周する数千人の行列が、約10キロの行程を練り歩いたそうで、京都の祇園祭のごとくに熱狂したであろうと想像します。
支倉常長がヨーロッパから持ち帰ったタペストリーは、今も祇園祭の山鉾に使われています。(仙台から転々と渡り歩いて京都にたどりついたが、その経緯は謎)
1868年、戊辰戦争によって仙台藩が降伏すると、寺社は藩の後ろ盾を完全に失い、その後廃藩置県によって、200年続いた祭の開催継続が難しくなっていきます。
1874年(明治7)、神仏分離令により、六芒星の北の頂点東昌寺の敷地内に、政宗公の御霊を祀る青葉神社が創建されました。
これにより青葉神社の祭礼が開始されます。
その後10年ほど、青葉神社の祭礼は盛んになり、山鉾巡行も出る「青葉祭り」が生まれました。
しかし、市内に電線が張り巡らされたことで山鉾の運行が困難になり、1899年(明治32)を最後に山鉾巡行がなされる祭は終わります。
そのあとは、七夕祭りが仙台を代表する祭りとして発展し、また戦争を経験し、交通事情や企業からの協賛金の問題などで、青葉まつりは何度も衰退と復活を繰り返すことになりました。
完全復活したのは、政宗公没後350年の1985年(昭和60)。政宗の命日に行われる青葉神社例祭と分離して、第1回「仙台・青葉まつり」が市民の祭となりました。
青葉神社を先導するのは、六芒星発見者のイナベノ晴明演ずる”猿田彦命” (2016年)
サルタヒコノカミ—日本神話に登場する神。
『古事記』では猿田毘古神、猿田毘古大神、猿田毘古之男神、『日本書紀』では猿田彦命と表記される。
『古事記』および『日本書紀』の天孫降臨の段に登場する(『日本書紀』は第一の一書)。天孫降臨の際に、天照大御神に遣わされた邇邇芸命(ににぎのみこと)を道案内した国津神。
伊勢国五十鈴川のほとりに鎮座したとされ、中世には、庚申信仰や道祖神と結びついた。wikipediaより
青葉神社神輿渡御。政宗公の御霊(ご神体)がのる。
現在の神輿の担ぎ手は一般公募で集められていますが、昔は、根白石の若者が奉仕したそうです。
その縁で根白石には初代の神輿が保存されていますが、あまりの重さに担ぎ手がいないそうです。
現在の神輿は昭和の初めに新調したもので、その重量は、それでも1トン!?
青葉まつりの魅力は、やはり市民参加型であることと、なによりも伊達政宗公、片倉小十郎、伊予宇和島伊達家藩主という本物(ご子孫)が登場することでしょう。
本物がコスプレ(?)するというレアなお姿を拝見できる、歴史好きにはたまらない祭典です。
出典:星の街仙台
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