これぞ仙台歴史ロマン★江戸食米の1/3を仙台藩がまかなっていた!登米町【宮城歴史浪漫シリーズvol.39】

おでかけ

新田開発による北上川の姿

伊達政宗公の実業家としての活躍は有名で、日本初の御塩噌蔵(おえんそぐら)から”仙台味噌”が誕生しました。

宮城の県北は、昔から良質な土壌と水質に恵まれ、米や塩が豊富に生産されました。

登米市登米町(とめしとよままち)の東側を流れる北上川は、全長249キロメートルあり、国内第四位の大河です。

もともとは町の西側を流れていましたが、度重なる水害による氾濫で、(慶長9年-1604より)大規模な新田開発が進められました。

それによって水運業が栄え、江戸に米や塩を運ぶことができました。

現在の北上川は、先人たちの手によって作られた姿なのです。

町並みの一環を担う鈴彦商店は、江戸時代に創業し、明治に入ってから味噌・醤油の醸造業を営み、戦後は薬品を中心に多角経営へと発展しました。

昭和34年(1959)より、「ヤマカノ醸造」として現在に至ります。

建物は、旧仙台藩領で見られる典型的な豪商の町屋の造りです。

現在も住居として使用されている武家屋敷

登米町と言えば、武家屋敷が景観のメインでしょう。

この景観の中に、押し車を押すおばあさんや、通学の子供たちが溶け込んでいるのを観光客の目で見ると、懐古と現実がごちゃまぜになって不思議な感覚に陥ります。

春にはみごとな桜を見せてくれる清野家。

登米懐古館の庭園。

歴史資料館では、レンタル自転車を300円で貸出しています。

また、6施設(教育資料館 ・登米懐古館 ・警察資料館 ・水沢県庁記念館 ・伝統芸能伝承館 ・髙倉勝子美術館)共通観覧料が1,000円(個人)です。

 

今回は、武家屋敷沿いにあるカフェの向かい側、「熊谷家の門」にご注目いただきたい。

熊谷家の表門は「中世の豪族、葛西氏居館の裏門を移したもので、江戸時代初期以前のものと伝えられる。四脚門の変形か薬医門に似ており、もとは茅葺、素朴で安定した古風な門ながら堅実な建築で、昔日の威容を偲ぶことができる。」とあります。

門の間口の広さからいうと登米町の中では最大級だそうです。昭和51年(1976)に登米市(旧登米町)指定文化財(建造物)に指定されています。

奥州の葛西氏と言えば、豊臣秀吉の仕置にあって滅ぼされましたが、それ以前は伊達氏に仕え、そのもっと前は源頼朝に属して奥州藤原氏攻めで武功を上げ、宮城県北部から岩手県南部にかけての領地を得た豪族です。

秀吉の小田原攻めに、葛西氏と大崎氏(同じく陸奥中国の戦国大名)が参戦しなかったことを理由に、両氏は改易となり、葛西大崎一揆が発生します。

政宗公は、のちに秀吉の命で米沢から岩出山城に移封されますが、この一揆に関わっています。

その時代よりもっと前からある葛西氏の寺池城の裏門が、これなのです。

悠久の歴史を刻む佇まいにしばし見とれ、登米町の風情に浸りました。

町の観光拠点施設「遠山之里」

物産センターで、食事やお土産、無料駐車場も利用できます。

観光地を散策するとき、駐車料金を気にせず思う存分ゆっくりできるのは、とてもありがたいことです。

登米町は見どころ満載なので、一日では足りないくらい。

遠山之里

ここで見つけたアイスをパケ買いしました。

 

猫のイラストといい文字デザインといいネーミングといい、脱力感のかたまりのようなパッケージに完全にやられました。

240円なり。型押しが菊のご紋かと思いきや、ひまわりですね…

素朴な味で甘すぎずとっても美味しいですよ!

 

江戸時代、米作りと水運で栄えた町は、「みやぎの明治村」として歴史的建造物を遺し観光地となりましたが、

王道のスポットをはずれたところに、隠れ家的な個人所有の展示館を見つけました。

その名も「アンティーク資料館」昭和臭ムンムンです。

次回へつづく

これぞ仙台歴史ロマン★腹が減っては戦はできぬ!政宗の仙台みそは兵糧に大活躍した!【宮城歴史浪漫シリーズvol.18】

2020年4月12日

 

とよま観光物産センター 遠山之里

住所:宮城県登米市登米町寺池桜小路2
電話番号:0220-52-5566
営業時間:9時00分~17時00分