山城遺構の桜めぐりが止まらないユーホーです。
前回の記事で書いた利府城の【留守氏】の元居城だった岩切城跡へ行ってみました。
岩切城~別名高森城~高森山公園
高森山にあることから、別名を高森城といい、現在は県民の森の丘陵地帯の一画をしめ、国の史跡に指定されています。
現在の利府、多賀城一帯を治めていた留守氏の居城で、南北朝時代(14世紀)には『岩切城の戦い~中央(京)の争いが奥州に飛び火』で、戦さの舞台となった大規模な山城です。
仙台市有数の桜の名所となっているのですが…駐車場が無いぃぃ
グーグルマップを頼りに走ると、南側の入り口がメインで、その前に2~3台停められそうなスペースあり。
しかしバリケードがあって入れなかった。(桜の時期の週末は一方通行になるため、平日でも駐車禁止になるようです)
他の入り口を探していると、青少年の森という施設に突き当たったので、そこに駐車させてもらい(入園無料)、徒歩で数百メートル戻って、お寺の横から登っていきました。
民家の脇を進みます。
あちゃー、、グジャグジャにぬかるんだ道を15分ほど登り、山頂に着いたが…
がび~ん、、倒木そして葉桜…遅かったかと思いつつズンズン先に歩いてみたら、
パァ~っと眼前に平場が広がりました!
うわぁ、、、きれい!見事に満開です。
看板がひとつだけ。トイレもベンチもありません。
散歩中の一組を見かけただけでした。
留守氏
*敷地内看板
留守氏の祖は、源頼朝の奥州合戦後に陸奥国の留守職を務めた伊沢家景という人で、その子・家元以降職名をとって留守氏を名乗るようになった。
NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」のキャストで説明すると、
元々は、源頼朝(大泉洋)の命で上洛(上京)していた北条義時(小栗旬)の父北条時政(坂東彌十郎)から、文筆の能力を買われ御家人(将軍直属の家臣)となり、鎌倉へ下った。
伊沢家景は、その後戦場に出ることは無く、文筆に携わって頼朝に仕えた。
子孫(留守氏)は代々岩切城を拠点としたが、北条氏や国分氏に所領を切り取られ、弱体化していった。
そこで伊達氏に救援を請い、養子を次々に迎え入れ、次第に伊達氏の傘下へ組み込まれていくのだが、それに反発した家臣の村岡氏と交戦となり、村岡城は落城。(前記事参照)
留守氏は岩切城を廃城(1570)して、利府城(元村岡城)に移り住み、仙台藩の一門格に列した。
という、(ザックリですが)流れです。
かつて仙台平野では、熾烈な戦いが繰り広げられました。
もっとさかのぼれば、陸奥国府が置かれた多賀城の一帯ですから、歴史好きにはマニアックすぎる歴史の宝庫です。
県民の森といえどここは人を寄せ付けない、空気満々のミステリアスなディープスポットであることは間違いありません。
帰りは、来た道とは違う急な坂(階段あり)を降りてみました。
すると、車を停めた青少年の森の敷地内に出たではありませんか!
岩切城跡は、宮城野区と利府町の管理で、青少年の森はあくまでも岩切城跡への”穴場的”駐車スペース兼通路ですので、案内板はありません。
私の知る所、入り口は南側(メイン)とお寺の横と、ここ青少年の森の3か所です。
*長命館北入り口設置看板より(青文字は加筆)
過去記事の城跡の位置関係です。この中では、ここ岩切城が時代背景及びアクセスの面からも、花見の穴場大賞です!
撮影日4/19
岩切城跡(高森城跡):宮城県仙台市宮城野区岩切字入山他/利府町神谷沢