これぞ仙台歴史ロマン★宮城の小京都「村田町」の史跡その1~城山【宮城歴史浪漫シリーズvol.37】
宮城県柴田郡村田町は、町の7割が緩やかな丘陵で、中心部は東西北の三方を山に囲まれた盆地であり、市街地の東部を荒川が流れるなど、地形が京都に酷似しています。 さらに古い蔵の街並みが残っていることからも、「みちのく宮城の小京…
おでかけ宮城県柴田郡村田町は、町の7割が緩やかな丘陵で、中心部は東西北の三方を山に囲まれた盆地であり、市街地の東部を荒川が流れるなど、地形が京都に酷似しています。 さらに古い蔵の街並みが残っていることからも、「みちのく宮城の小京…
おでかけ昨今の古墳ブームで、「古墳女子」や「墳活」という言葉を耳にするようになりましたが、名取市が「古墳の里」であったことをご存じでしょうか。 名取市植松の住宅街にある「雷神山古墳」は、東北地方最大級(主軸168m)で国の史跡に…
おでかけ伝説の陰陽師・安倍晴明を演じ、フィギュアスケート界に伝説を刻んだ仙台出身の絶対王者・羽生結弦選手。 羽生選手の偉業はここに書くまでもなく、その名を知らない日本人は皆無ではないでしょうか。 「SEIMEI」で使用された曲は…
歴史6月23日付の河北新報に掲載の「一関の六芒星」について、仙台六芒星と形状が同じということで取材を受けましたが、こちらで捕捉させていただこうと思います。 一関の六芒星は、磐座・巨石信仰と坂上田村麻呂ゆかりの神社であることか…
歴史本日6月21日は、24節気の夏至ですね。 1年のうちで太陽が一番高い位置にきます。(だから昼間が長い) 今日を境に、太陽は冬至に向けてだんだん低くなっていきます。(夜が長くなっていく) さらに、今日は部分日食が重なります…
歴史全国でもめずらしい、仙台藩独特の葬送の儀式に「灰塚」というものがあった。 政宗公は、江戸の日比谷にあった伊達屋敷で亡くなった。遺体はすぐに仙台に運ばれて、北山の覚範寺に置かれ、遺言により経が峰に埋葬され瑞鳳殿が建てられた…
歴史左右の瞳の色が違う虹彩異色症-オッドアイは、時々白猫に見ることができます。 水色とイエローの、宝石のような眼を持つ猫は、幸運を呼ぶなどといわれてますが、人間にオッドアイが生まれる確率は1%以下で、白人で0.6%、日本人だ…
おでかけ宿坊ってご存じですか?簡単に言うと「お寺に泊まる」ことなのですが、これが奥が深くておもしろいのです。 歴史的には、平安時代に天皇や宮中で熊野詣(三重県の熊野三山)が盛んなころ、宿泊場所として寺が利用されたことに始まります…
歴史前記事(vol.28)の続きです。 お寺は昔、山の中に建てられたので”山号”というものがあります。 古来より山は、神が宿る神聖な場所という”山岳信仰”と仏教が結びついたものです。(町なかに建てられた寺には山号は無い) 例…
歴史前記事(vol.27)の続きです。 五郎八姫は晩年、師事する洞水和尚(瑞厳寺100世で天麟院1世)の手引きで落飾*しています。(*身分の高い人が髪を剃り仏門に入ること) キリシタンから仏教へ帰依したのには、幽清の影響があ…
歴史前記事(vol.26)の続きです。 あきる野市の大悲願寺から幽清が仙台へ連れてこられたとして、どこへ匿われたか。 伊達家の隠れ里根白石としか考えられません。古内主膳重広の別荘”福沢御殿”で養育されたのではないか。坊さんと…
歴史前記事(vol.25)の続きです。 大悲願寺(だいひがんじ) 東京都あきる野市横沢にある真言宗豊山派の寺院。山号は金色山。院号は吉祥院。本尊は大日如来。寺伝によると創建は1191年(建久2年)で、武蔵国平山(東京都日野市…
歴史政宗公には、父輝宗と正室義姫(保春院)の末子で、実弟の小次郎がいました。 政宗は、母義姫が小次郎に家を継がせようとしたことに、母の実家最上家の陰謀を感じ取り、会津黒川(若松)城下において小次郎を斬殺した。 守役の小原縫殿…
歴史仙台の北西に位置する泉区根白石(ねのしろいし)は、泉ヶ岳を一望にする田園地帯で、住宅は中心部にありその中に古刹満興寺(前記事vol.23参照)があります。 政宗は祖母栽松院の墓参りにたびたび立ち寄りお泊りにもなったという…
歴史久保姫は、陸奥国磐城領主・岩城重隆の娘で、伊達政宗の祖父・晴宗の正室となり、政宗公の祖母にあたります。 久保姫は奥州一の美少女として名高く、えくぼが出ることから「笑窪御前」とも呼ばれていました。 当初白河城主・結城氏のも…
歴史毎年、伊達政宗公の命日(5/24)月である5月に、2日間をかけた市民参加の最大規模「青葉まつり」が開催されます。 定禅寺通りをメインに、城下は山鉾巡行や神輿渡御、仙台すずめ踊りや武者行列などで賑わい、毎年90万人以上の来…
歴史政宗の功臣の中でもとくに功績を残した【伊達の三傑】と呼ばれる、片倉小十郎景綱・伊達成実・茂庭綱元。 3人のうち一番年上の茂庭綱元は、あまり歴史上に登場しませんが、政宗公の右腕として地味~に大活躍した人物です。 政宗公は、…
歴史戦国武将総選挙で第3位。不動の人気を誇る伊達政宗。 仙台藩は他藩に比べて、主君が亡くなった時に後追いする家臣の数が、圧倒的に多かったようです。 それだけ忠誠心が厚いということになりますが、政宗公の時はもとより、二代藩主忠…