これぞ仙台歴史ロマン★伊達家の謎の儀式”灰塚”とは!?【宮城歴史浪漫シリーズvol.32】

歴史

全国でもめずらしい、仙台藩独特の葬送の儀式に「灰塚」というものがあった。

政宗公は、江戸の日比谷にあった伊達屋敷で亡くなった。遺体はすぐに仙台に運ばれて、北山の覚範寺に置かれ、遺言により経が峰に埋葬され瑞鳳殿が建てられた。

空になった棺は北山に運ばれて、そこで葬礼が行われた。野原での葬儀と伝わるが、嫡男の忠宗公や宇和島の秀宗公親子など伊達一族と家臣が参列したといわれ、秀宗公はこれを最後に故郷の東北に来ることはなかったそうだ。

葬礼後、棺などを全て焼き、その灰を集めて塚を築いた。これを灰塚という。

由来や始まった時期は不明だが、戦国時代には行っていたとされ、政宗公の他に母の保春院(義姫)、二代藩主忠宗公、三代藩主綱宗公の灰塚もあったらしいが、現在は政宗公と保春院の灰塚しか確認されていない。

政宗公の灰塚は、北山の近く新坂町の大願寺にあります。

四代藩主綱村公夫人の仙姫(万寿院)の墓所にあった門を明治に移築した、みごとな霊廟門。

本堂の裏手に、堀に囲まれた灰塚がある。

小さな橋を渡ると、新緑がまぶしい聖域となる。規模は違えど、堀に守られた前方後円墳や、三途の川を渡って死の世界に入る高野山奥の院に通ずる”雰囲気”がある。

正面からは、樹木に隠れて見えないが、中央に古墳のような形状の塚がある。後ろ側にまわるとよくわかる。

遺体は無いけれど、分霊された政宗公の御霊を祀る、ここは自然に包まれる永遠の霊域なのだろう。死んで神となる政宗公の権威の象徴を形に表したのだろうか。

このアングルもかっこいい!漆黒の正門。

現存する灰塚のもうひとつは、大願寺の近くの永昌寺にある政宗公の母保春院(義姫)のものです。

門の横に説明版があります。

こちらは、”原野で行われた”ことがわかる、ちょっと開けた場所にポツンとありました。本堂裏手の墓地の奥です。

灰塚の風習は、五代藩主吉村公の時に「戦国時代の遺風で無益だ」とされ廃止となった。それまではきっと北山近辺、あるいは伊達家の霊場松島あたりにもあったのではないだろうか。

ほとんど記録に残さず、他に例をみない習俗… なんというか、後世に”神秘的な謎”を残しまくる伊達政宗らしいな、と思うのでした。

参照:星の街仙台