これぞ仙台歴史ロマン★青葉神社に真田幸村の家臣の子孫がやってきた!【宮城歴史浪漫シリーズvol.04】

歴史

こんにちわ、星の街のユーホーです。この物語は、vol.1から続いています。

 

【青葉神社】

国分町から北へまっすぐ突き当たりの高台にあり、軍事的には、北へ抜ける七北田街道を見通せます。

政宗公の神号である武振彦命(たけふるひこのみこと)、愛姫、家臣を祀っています。

東隣にある東昌寺の境内に、明治になってから建てられました。現在の宮司は、白石片倉家第16代当主 片倉重信氏。

東昌寺は、仙台城の築城とほぼ同時期に置かれ、六芒星の中では最初に決定された場所といえます。

初代住職は、大有(だいゆう)和尚で、政宗公の大叔父でした。

神仏分離令とは

昔、お寺と神社はペアで運営されていましたが(神仏習合-しんぶつしゅうごう)、天皇を日本の頂点と定めたことにより、神様である天皇と仏様の仏教を対等にしてはならないという考えに変わりました。ところが、ただ分けるのではなく、仏教は悪者という間違った考えまで生まれ、お寺にあった仏像などを破壊捨て去る行為(廃仏毀釈-はいぶつきしゃく)に出た。そこで、政宗公を守るために、ご神体に政宗様を祀り建てたのが青葉神社(明治7年)。

 

「戦国BASARA]のヒットで、青葉神社には、歴女が参拝に増増増加したといいます。なんてったって、あの、伊達の三傑のひとり片倉小十郎のご子孫が、政宗公の御霊をお守りしているのですから、歴ヲタさんにとっては、た、た、たまらないでしょう。

それ以上に、片倉宮司さんの話術に吸い込まれ、ハッと気づけば1時間過ぎていた、ここはドコあたしはいったい、、みたいな経験をした方は多いはず。涙をダーダー流しながら帰られる歴女さんもいるそうです。

 

真田家の血脈は仙台真田家へと

小十郎二代目重長は、真田幸村の子供4人をあづかることになったという話は有名ですね。

真田公は、敵方ながら小十郎の戦いぶりに関心を持っていて、大阪の役で豊臣方に付くも、負け戦になると覚悟を決めたとき、自分の幼子を小十郎に託したといいます。

うち女子ひとりが幼くして亡くなり、女子二人、男子一人が残りました。

長女(阿梅)が14~15歳になって小十郎の後妻に入るのですが、それは早くに亡くなった小十郎の正室が生前「私が死んだら(自分が育てた)阿梅を後妻に入れるよう」遺言していたから。

以下、真田徹氏談

ー阿梅の妹阿菖蒲は、喜多(政宗公の乳母)の養子(夫婦養子)に入り、喜多さんの片倉家を継ぎ、政宗公の正室、愛姫の実家田村家(阿菖蒲の夫は田村氏)の菩提を護りました。男子大八は保護されて仙台(白石)に行き、長じて伊達の家臣になりました。その時点で真田姓を名乗りましたが幕府の調査が入り、養い親の片倉姓(片倉守信)に戻しました。仙台二代目辰信(ときのぶ)の代に、藩の判断(最早、幕府に遠慮すること無し)で真田姓に復帰しました。夏の陣より98年目のことですー

歴史上では、幸村公の代で子孫は残っていないことになっていましたが、真田の子が仙台藩にいることを知った幕府は問いただし、そこで次男大八は7歳の時に京都の石合戦で石が当たって死んだことにし、片倉守信のことも家系図を偽装したようです。

真田公の長男大助(大阪の役で真田公ともども討ち死に)の一番下の子もまた、片倉家に預けられ、後々真田の姓を復活させたというわけです。

真田家の血は、そうして現代まで脈々と生き続けてきたのでしょう。

上の画像の絵は、真田公の幼子を仙台につれてきた家臣のご子孫が、400年の時を超えて感謝の意を表し、政宗公の騎馬姿を描いて青葉神社に奉納されたものだそうです。この絵は、ご参拝のおりに、お願いすると見せていただけるかもしれません。

 

この年、イナベノ晴明は猿田彦として降臨!*猿田彦とは神話にある天孫降臨の時、道案内をした神。

 

 

真田幸村十四代・仙台真田家十三代当主 真田徹氏        *ジャケットの裏地!(カッケー!)

 

次回は【仙台の地名の由来となった千躰仏はここにある!vol.5】へつづく

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出典:星の街仙台


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